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2026年6月2日放送の『風、薫る』第47回は、小野田(宮地雅子)の死を受け止めきれなかったゆき(中井友望)が、自分の進む道を見つめ直す回だった。
前回、小野田はゆきの前で息を引き取った。ゆきは大きく取り乱し、その後も実習に戻れない状態になっていた。今回は、そんなゆきに対してバーンズ先生(エマ・ハワード)が真正面から問いを投げかける。
看護婦という仕事は、人を助ける仕事であると同時に、人を見送る仕事でもある。むしろ、助けられずに見送る場面の方が多いのかもしれない。その現実に気づいてしまったゆきは、看護婦になる道を諦める決断をする。
全員が無事に看護婦になってほしいと思っていたが、理想と現実に直面し、ついに脱落者が出た。けれど、それが単なる挫折ではなく、自分自身と患者に対する誠実な判断として描かれていたのが、とても重かった。
前回の記事はこちらです。

第47回のポイント
- バーンズ先生は、ゆきが3日間実習を休んだ理由を尋ねる。
- ゆきは、小野田が「いなくなった」ことに耐えられなかったと話す。
- バーンズ先生は、小野田はいなくなったのではなく、心臓の病で「亡くなった」のだと告げる。
- ゆきは、看護婦の仕事が人を助けるだけでなく、見送る仕事でもあることに気づいて苦しむ。
- トメ(原嶋凛)は、自分が看護婦を目指した理由を語る。
- 多江(生田絵梨花)は、以前「みんなとは志が違う」と言ったことを恥じ、謝罪する。
- ゆきは一度現場に復帰するが、その後、看護婦になるのをやめると仲間たちに告げる。
- バーンズ先生はゆきを抱きしめ、仲間たちも泣きながらゆきに駆け寄る。
個人的に印象に残ったこと
今回まず印象に残ったのは、バーンズ先生がゆきに、3日間実習を休んだ理由を聞く場面だった。
ゆきは、小野田が「いなくなった」ことに耐えられなかったと説明する。
この「いなくなった」という言い方に対して、バーンズ先生はかなり厳しく、小野田はいなくなったのではなく、心臓の病により「亡くなった」のだと説明する。
ここは厳しいけれど、大事な場面だったと思う。
ゆきにとっては、小野田が目の前からいなくなったという感覚なのだろう。大切な人が消えてしまった、もう会えなくなった。その喪失感としては「いなくなった」という言葉になるのも分かる。
でも、看護婦を目指す者としては、そこをぼかしてはいけない。小野田は病によって亡くなった。死という事実から目をそらしてはいけない。
バーンズ先生は、ゆきを責めるためではなく、看護婦として避けて通れない現実を見させようとしていたのだと思う。
小野田を受け持った時から、既に治らない状態だと分かっていたはずだとバーンズ先生が言うと、ゆきは、いつ亡くなってもおかしくない人の看護をするのがずっと怖かったと答える。
この言葉もかなり重かった。
ゆきは、何も分かっていなかったわけではない。小野田の状態が厳しいことも、死が近いことも、おそらくどこかでは分かっていた。でも、それを受け止めるのが怖かった。
しかも小野田はいい人だった。会うたびに毎日毎日仲よくなって、好きになってしまった。だから失うのがつらい。
これに対して、バーンズ先生は「いい人でなければ死んでもいいのですか?」と問う。
ここもかなり厳しい。
けれど、看護の現場に立つなら避けられない問いなのだと思う。
患者がいい人だからつらい。好きになったから失いたくない。もちろん、その気持ちは自然だと思う。でも、看護婦は「好きな患者」だけを看るわけではない。人柄がよい人も、そうではない人も、同じように病み、死に向かうことがある。
その時に、看護婦はどう向き合うのか。
バーンズ先生は、ゆきの優しさを否定しているのではなく、その優しさだけでは立っていられない仕事だという現実を示していたように見えた。
ゆきは、看護婦という仕事が人を助けるだけでなく、人を見送る仕事でもあると気づく。むしろ何もできずに見送ることの方が多い。助けたいと思ってここに来たのに、その現実がつらい。
この気づきが、今回のゆきの核心だったと思う。
ナイチンゲール女史に憧れ、人を助けたいと思って看護の道に来た。でも現実には、助けられない人がいる。どれだけ丁寧に看ても、どれだけ思いを込めても、死は止められない。
それを「仕事」として受け止め続けられるのか。
ゆきは、そこに耐えられなかったのだと思う。
そして、バーンズ先生はトメの話をする。
同じように内科で看護をしていたトメも、つらくないわけではない。ただ表に出さないだけだという。耐えることと、つらいと思うことは別の話だと説明する。
この言葉も良かった。
トメは小野田の死に直面した時、冷静に脈を取り、亡くなったことを確認し、頭を下げた。ゆきのようには取り乱さなかった。
でもそれは、トメが冷たいからではない。つらくないからでもない。つらさを表に出さず、その場でやるべきことをやっていただけなのだと思う。
耐えることと、つらくないことは違う。
これは看護だけでなく、いろいろな仕事や生活の場面にも通じる言葉だと思った。
その後、トメ自身が自分のことを語り出す。
トメは、経験として看病した人が死ぬことを知っていただけだと言う。一番上の兄が労咳で亡くなったからだ。
あんなにみんなで一所懸命看病したのに、兄は優しく、何も悪いことはしていないのに亡くなった。それが悔しくて悔しくて、敵をとってやろうと看護婦になることにした。
ここで、トメの看護婦を目指す理由が明かされた。
小野田の死に対して冷静だったトメは、やはりりん(見上愛)と同じように、大切な家族を病気で失う経験をしていた。だから死に慣れているというより、死の理不尽さを知っている人だったのだと思う。
トメは、病気そのものが許せなかったのだろう。
何も悪いことをしていない兄の命を奪ったもの。家族がどれだけ看病しても勝てなかったもの。その理不尽な相手に対して、敵をとってやりたいという思いが、トメを看護の道に向かわせた。
これは志が高いというより、もっと生々しい感情だと思う。
でも、だからこそ強い。
多江が、以前トメたちに対して、看護婦を目指す理由について「みんなとは志が違う」と言ったことを恥じ、謝罪する場面も良かった。
多江の言葉は、悪気があったとしてもなかったとしても、どこか自分の志を上に置いていたように見える言葉だった。けれど、トメの話を聞けば、看護婦を目指す理由にきれいな上下などないのだと分かる。
トメは、敵討ちは志が高いわけでもなく、病気を逆恨みしているだけだと言う。ただ、東京に来た以上は看護婦になって労咳の患者を看病しないと青森には帰れないと強い決意を見せる。
ここもトメらしくて良かった。
自分の動機を美化しない。立派な志だとも言わない。逆恨みだと言い切る。それでも、やると決めている。
トメはかなり強い人だと思う。
そしてトメは、自分も兄が死んだ時はずっと泣いていたと話す。小野田さんが死んで泣いているゆきのことは、看護婦としては駄目かもしれないが、自分は好きだと伝える。
この言葉は、ゆきにとってかなり救いになったのではないだろうか。
トメは、自分が正しくてゆきが間違っているとは言わない。看護婦として良かったのかどうかは別として、小野田のために泣けるゆきの人柄は好きだと言ってくれる。
この「看護婦としては駄目かもしれないが、自分は好き」という分け方が、とても良かった。
適性と人格を分けている。
看護婦として向いているかどうかと、人として好きかどうかは別の話。ゆきが看護婦として耐えられなかったとしても、ゆきの優しさや情の厚さが否定されるわけではない。
この言葉で、ゆきは少し救われたと思う。
バーンズ先生は、看護を含む医療の仕事に就く人は、人を助けたいと願い、勉強や訓練を重ねるが、これから先、助けられない瞬間はもっと訪れると話す。
そして、ゆきには、この実習で生まれた課題にゆきなりの答えを出してくださいと命じる。
ここで、バーンズ先生が答えを押しつけないところが良かった。
ゆきに「乗り越えなさい」とだけ言うわけではない。看護婦を続けなさいとも、やめなさいとも言わない。ただ、この実習で生まれた課題に、自分なりの答えを出せと言う。
かなり厳しいけれど、誠実な指導だと思う。
ゆきは「はい」と返事をし、感謝を告げる。
その後、ゆきは看護の現場に復帰する。休んだ分しっかりやらないと張り切り、病室で検温やシーツ交換をテキパキとこなしていた。
ここだけ見ると、ゆきは立ち直ったように見えた。
でも、その時は突然訪れる。
ゆきは、みんなの前で「看護婦になるのはやめることに決めました」と告げる。校長先生にも今そう告げてきたという。
この展開には、やはり驚いた。
一度現場に戻り、テキパキと仕事をしていたからこそ、この決断が衝動ではなく、ゆきなりに考えた末の答えだったのだと感じる。
寮の部屋で、みんなが座ってゆきの話を聞く場面も重かった。
直美(上坂樹里)は、華族のお嬢様が女学校をやめてまで養成所に来るなんて、相当な覚悟だったんじゃないのかと訴える。自分は看護婦じゃなければならない理由も覚悟もなければ、そこまで好きでもないのにやっていると話す。
直美らしい言い方だった。
直美はゆきを責めているというより、引き止めたいのだと思う。ゆきがそこまでして来た道を、本当にここでやめていいのか。自分のように強い理由もなく続けている人間もいるのに、そんなに覚悟を持って来たゆきがやめるのか。
直美の中にも、混乱と寂しさがあったのだと思う。
それに対して、ゆきは「それは、直美さんが看護婦に向いているということですわ」と返す。
ここが地味にかなり良かった。
直美は、自分には看護婦じゃなきゃならない理由も覚悟もない、そこまで好きでもないと言う。でも、ゆきはそこに適性を見る。
無理をしなくてもできてしまう。必要以上に患者に肩入れしすぎるわけでもなく、淡々と目の前の仕事をこなせる。そういう直美のあり方は、看護婦に向いているということなのかもしれない。
確かに直美は不器用だが、誰かの状態を見て、必要な時に動くことができる。仲間が困っていればぶっきらぼうに助けるし、患者に対しても過剰に感情移入しすぎない。
手術介助には向いていないのかもしれない。でも、看護婦そのものに向いていないとは限らない。むしろ、ゆきには見えていたのだと思う。
ゆきは、自分は人の生き死にに関わる仕事ができる人間ではないと言う。そして、これは自分自身のためでもあるが、何よりも患者さんのために、自分が看護婦にならないことが誠実だと答える。
この言葉が、今回いちばん重かった。
看護婦をやめることは、逃げにも見えるかもしれない。でも、ゆきは患者のためだと言った。
自分が死に耐えられず取り乱す人間であること。人の生き死にに関わる現場に立ち続けることができないこと。それを分かった上で、患者のために自分は看護婦にならない。
これは、自分の弱さを認めた上での誠実な判断だったのだと思う。
夢は破れた。
でも、ゆきが看護の道を目指し、学び、実習し、小野田と向き合った時間まで否定されるわけではない。
ゆきは、小野田の死がそれを教えてくれたのだと言う。そして、自分の気持ちが分かったらすぐに伝えるべきだと話す。
これは小野田の存在が、ゆきの中にちゃんと残っていたということだと思う。
ゆきは、自分には看護婦はできないが、この学校、この寮でみんなと過ごした日々が大好きだったと泣きながら告白する。
ここはかなりつらかった。
看護婦になることはできなかった。でも、ここで過ごした日々を後悔しているわけではない。仲間たちと出会い、学び、悩んだ時間は、ゆきにとって大切なものだった。
バーンズ先生がゆきを抱きしめる場面も胸が熱くなった。
二人は泣いている。厳しく問いを投げかけたバーンズ先生も、ゆきの決断を冷たく切り捨てるわけではない。ゆきが自分なりの答えを出したことを受け止めていた。
ゆきがバーンズ先生に「こちらで学んだことを何一つ後悔していません!」と告げるのも良かった。
この一言があったから、ゆきの退学がただの敗北には見えなかった。
看護婦にはならない。でも、ここで学んだことは何一つ後悔していない。夢が叶わなかったとしても、その夢を目指した時間には意味があった。
最後に、仲間たちが泣きながら一斉にゆきに駆け寄り、抱きしめる。
ついに看護婦見習たちから脱落者が一人出てしまった。全員がスムーズに看護婦になれるわけではない。その現実が突きつけられた回だったが、だからこそリアルだった。
小野田さんを看護するゆきとトメを
バーンズ先生はずっと見守っていました。👇向き合った課題に、ゆきが出した答えは…https://t.co/dTQu8yY1ou
中井友望 原嶋凛 エマハワード#朝ドラ #風薫る pic.twitter.com/szk7SqVOQ3
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) June 1, 2026
ゆきは看護婦には向いていなかったのかもしれないが、努力した時間は否定されない
ゆきは優しい。情に厚い人間だと思う。
小野田と毎日接する中で、小野田の人柄に惹かれ、好きになっていった。そんな小野田が亡くなった。ゆきにとって、大好きな人が亡くなるという経験は、これが初めてだったのかもしれない。
そして、それに耐えきれず、看護婦の道を諦めることになった。
ゆきは華族のお嬢様だ。おそらく働く必要もないのだろう。それでも、ナイチンゲール女史に憧れて看護の道を目指した。
夢は破れた。
でも、何かを目指し、それに向かって努力した行動は否定されるものではないと思う。
看護婦にはなれなかったとしても、ゆきが小野田と向き合い、自分の限界を知り、患者のために看護婦にならないという答えを出したことには意味がある。
今後、無理に仕事を探す必要はないのかもしれない。それでも、ゆきが自分の優しさや能力を十分に発揮できるものに出会えることを願いたい。
トメは冷たいのではなく、死の理不尽さを知っている人だった
小野田の死に直面した時、トメは冷静だった。
けれど、それは小野田に冷たいからではなかった。トメもまた、大切な兄を労咳で失った経験があった。
経験値の差や適性の差が出ただけなのだと思う。
トメは、何も悪いことをしていない兄を病気で失った。あんなに一所懸命看病したのに、助けられなかった。その理不尽さが悔しくて、病気をやっつけてやりたいという思いで看護の道に進んだ。
ゆきとは違う形で、トメもまた死に傷つけられた人だった。
だからこそ、ゆきに対して「看護婦としては駄目かもしれないが、自分は好き」と言えたのだと思う。
トメは、ゆきを責めなかった。看護婦としての適性とは別に、ゆきの人柄を認めた。この一言で、ゆきはかなり救われたのではないだろうか。
直美の「向いている」は、本人が思っているより大きいかもしれない
今回、ゆきが直美に対して「それは、直美さんが看護婦に向いているということですわ」と言ったのが印象に残った。
直美は、自分には看護婦じゃなきゃならない理由も覚悟もないと言う。そこまで好きでもないのにやっているとも言う。
でも、ゆきから見れば、それはむしろ適性だった。
無理をしなくてもできてしまう。必要以上に感情移入しすぎず、淡々と仕事ができる。困っている仲間がいれば助けに入り、患者にも現実的な距離感で接する。
直美は不器用だが、それは手術介助のような細かな技術の話であって、看護婦としての適性とはまた別なのかもしれない。
ゆきが去ることで、直美の輪郭も少し見えてきた気がする。
バーンズ先生は、答えを与えるのではなく、生徒自身に選ばせている
バーンズ先生は、今回もかなり厳しかった。
「いなくなった」のではなく「亡くなった」と言い直させるように、ゆきに死の現実を見させる。いい人でなければ死んでもいいのかと、逃げ道のない問いも投げかける。
でも、最終的には、ゆきに自分なりの答えを出すように言う。
ここがバーンズ先生らしいと思う。
看護婦を続けなさいとも、やめなさいとも言わない。生徒が自分の課題と向き合い、自分で選ぶところまで導く。
そして、ゆきが看護婦をやめると決めた時には、その決断を受け止めて抱きしめる。
厳しさと温かさの両方がある先生だと思う。ゆきが「何一つ後悔していません」と言えたのは、バーンズ先生が本気で向き合ってくれたからでもあるのだろう。
まとめ
2026年6月2日放送の『風、薫る』第47回は、小野田の死をきっかけに、ゆきが看護婦になる道を諦める決断をした回だった。
ついに看護婦見習たちから脱落者が一人出てしまった。全員が無事に看護婦になってほしいと思っていたが、全員がスムーズに夢を叶えるわけではない。理想と現実に直面し、向き不向きや適性によって道を変える人が出る。その描き方に、かなりリアルを感じた。
ゆきは看護婦にはなれなかった。けれど、何もかも失敗だったわけではない。ナイチンゲール女史に憧れ、養成所に入り、仲間たちと過ごし、小野田と向き合った。その時間は、ゆきにとって大切なものだった。
そして、自分には人の生き死にに関わる仕事はできないと分かった時、患者のためにも看護婦にならないことが誠実だと判断した。その決断は、とても重く、ゆきなりの答えだったと思う。
看護婦養成所、看護婦見習たち、バーンズ先生。それぞれにとって、一つの転機になる回だった。
ゆきがこれからどんな道を歩むのかは分からない。ただ、こちらで学んだことを何一つ後悔していないと言えたことが、せめてもの救いだった。
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