朝ドラ『風、薫る』第64回感想・ネタバレ|頑張りすぎるツヤが心配。看護とは仕事なのか、善意なのか

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2026年6月25日放送の『風、薫る』第64回は、看病婦から看護婦を目指すツヤ(東野絢香)の危うさが、かなり強く見えてきた回だった。

喜代(菊池亜希子)が久しぶりに帝都医大病院を訪れ、ツヤが看護婦を目指すきっかけが喜代だったことも明かされる。

一方で、ツヤは仕事の合間や終わった後に講義を受け、遅くまで残って勉強を続けていた。看護婦取締たちが無理を通してくれたのだから、自分も無理をしなければならない。そう思い込んでいるようにも見える。

その頑張りは立派だが、同時にかなり危うい。

また今回は、ヒデ(池田朱那)が「手紙を出すことは看護なのか」とりん(見上愛)に問いかける場面もあった。看護とは仕事なのか、奉仕なのか、善意なのか。バーンズ先生が残した問いが、また別の形で戻ってきたように感じた。

前回の記事はこちらです。

朝ドラ『風、薫る』第63回感想・ネタバレ|ツヤとヒデに芽生えそうな友情。病院で働く姿がやっぱり一番面白い
2026年6月24日放送の『風、薫る』第63回は、看護婦として働き始めたりん(見上愛)たちの現場が、かなり見応えのある形で描かれた回だった。直美(上坂樹里)は、患者への差し入れをめぐって小川吾郎(甲斐翔真)と衝突する。一方、ツヤ(東野絢香)...

第64回のポイント

  • 喜代が、伝道をしている教会の人の見舞いで帝都医大病院を訪れる。
  • りん、トメ(原嶋凛)、多江(生田絵梨花)は、喜代の来訪に驚く。
  • ツヤは、自分が看護婦になりたいと思ったきっかけは喜代だったと話す。
  • 喜代は、ツヤが看護科の生徒とも看病婦とも看護婦とも違う立場で、一人で苦しそうだと心配する。
  • 直美(上坂樹里)は、看病婦と看護科の生徒たちを仲良くさせるため、「甘い物でうやむや戦術」を実行する。
  • フユ(猫背椿)は、毎年若くて優秀な生徒が入ってくるなら、自分たちは違う仕事を探した方がいいのかとつぶやく。
  • 講義中に居眠りするツヤを、ヒデが起こす。
  • ヒデは、患者の手紙を出すことが看護なのかとりんに問う。
  • りんは、バーンズ先生に会いたいと直美に漏らす。
  • トヨが倒れ、りんと直美が長屋へ駆けつける。
  • 翌日、ツヤは仕事中にふらつき、フユが心配して声をかける。

個人的に印象に残ったこと

今回まず印象に残ったのは、喜代が帝都医大病院にやってきた場面だった。

喜代は、伝道をしている教会の方のお見舞いに来たらしい。

久しぶりの喜代の来訪に、りん、トメ、多江は驚く。

喜代は、看護婦として病院で働く道ではなく、伝道活動の中で看護を生かす道を選んだ人である。だから、病院に来たといっても、今の喜代はりんたちとは違う場所から看護に関わっている。

その喜代を、りんはツヤのもとへ連れていく。

教室で一人勉強していたツヤは、喜代を見て驚く。

そして、自分が看護婦になりたいと思ったきっかけは喜代だったと告げる。

これは良かった。

喜代は病院の看護婦にはならなかった。

でも、喜代が実習で見せた姿は、ツヤの中に残っていた。ツヤはその姿に触発され、自分も看護婦になりたいと思うようになった。

喜代本人は、自分が誰かのきっかけになっているとは思っていなかったかもしれない。

でも、バーンズ先生がまいた種は、こういう形でも広がっていたのだと思う。

ツヤは、喜代に会えたことで、残って勉強していて良かったと言う。

ただ、りんはツヤに、毎日遅くまで残っているから今日は早く帰ってくださいねと伝える。

ツヤが仕事の合間や、仕事が終わってから講義を受けていることを、りんは喜代に説明する。

りんは、休みを増やそうかとも提案する。

しかしツヤは、それだとお給金が減ってしまうし、看護婦取締の皆が無理を通してくれたおかげで勉強させてもらっているので、これくらいの無理は自分もしなければならないと思っている。

この言葉が、かなり危うかった。

ツヤは真面目で責任感が強い人なのだと思う。

看護婦になりたい。特例で講義を受けさせてもらっている。周囲に無理を通してもらった。だから自分も無理をしなければならない。

その気持ちは分かる。

でも、こういう人が壊れてしまうのは一瞬だと思う。

無理をしている自覚がありながら、それを当然のように受け入れてしまう。休んだ方がいいと言われても、休むとお給金が減るから休めない。

これはかなり危険だ。

頑張っているからこそ応援したい。

でも、頑張りすぎているからこそ心配になる。

その後、りんと喜代は、久しぶりに切り株で話をする。

この場所で二人が話すと、梅岡看護婦養成所時代を思い出す。

喜代は、りんが千佳子(仲間由紀恵)に対して夜通しつきっきりの看病をしたことが素敵だと思ったと話す。

りんが付き添ったことで、千佳子は救われた。

だからバーンズ先生は褒めてくれると思った。

しかし返ってきた言葉は、「看護は仕事です。奉仕ではありません。」だった。

この言葉は、やはり大きい。

喜代は、その言葉自体には理解を示している。

看護を仕事として成立させなければならない。奉仕だけで成り立たせてはいけない。それは分かっているのだと思う。

ただ同時に、喜代は自分は看護を仕事にはできないと感じた。

だから、奉仕活動の中で看護する方が向いていると考えたのだという。

ここは、喜代らしい選択だった。

喜代は看護を捨てたわけではない。

でも、仕事として看護をすることには、どうしても向いていない。患者に向き合う気持ちと、職業として割り切ることの間で、喜代は自分の居場所を見つけたのだと思う。

そして喜代は、りんにツヤのことを少しだけ気を付けてあげてと伝える。

ツヤは今一人だから。

看護科の生徒とも、看病婦とも、看護婦とも違う。

頑張っているけれど、少し苦しそうで。

この喜代の観察はとても鋭かった。

バーンズ先生から口酸っぱく叩き込まれた「観察」が、ここでも生きているのだと思う。

ツヤは、看護科の正式な生徒ではない。

でも、看病婦だけでもない。

看護婦でもない。

その中間にいる。

だから、どの集団にも完全には属せていない。

看護科の生徒から見れば、特例で講義を受けている人。

看病婦から見れば、看護婦を目指して別の道へ行こうとしている人。

看護婦から見れば、教え、補助しなければならない人。

ツヤは一人で頑張っているように見える。

そこに喜代が気づいたのが良かった。

一方、団子屋では、シマケン(佐野晶哉)が団子を食べている。

そこへ直美がやってくる。

直美は丸山(若林時英)に団子30本を注文する。

どうやら「甘い物でうやむや戦術」に必要らしい。

直美はシマケンに、りんのことでかまをかける。

するとシマケンは分かりやすく動揺する。

直美は、りんは鈍感だから手ごわいと教え、自分に手伝えることはすると約束し、シマケンの健闘を祈る。

ここは少し笑える場面だった。

直美は、りんとシマケンのことに気づいている。

そして、りんが鈍感だということも分かっている。

直美は昔なら、他人の恋模様にここまで関わろうとしなかったような気もする。

でも、今の直美は、人と人の間をつなごうとすることが増えている。

それは一ノ瀬家で暮らしていることや、看護婦取締という立場になったこととも関係しているのかもしれない。

翌日、直美は30本の団子を詰所に広げる。

看病婦と看護科の生徒に振る舞い、休憩中に団子でも食べながら話でもしてみてくださいと言って詰所を出ていく。

甘い物でも食べて、少しは仲良くなってくれたらいい。

直美の狙いは分かる。

看病婦と看護科の生徒の間には、まだ距離がある。

若くて勉強のできる看護科の生徒と、現場で働いてきた看病婦。お互いに思うところがあるのだろう。

だから、団子をきっかけに少しでも話せれば、という直美の作戦だった。

しかしフユに、団子はおいしいが、団子で仲を取り持とうなんて甘いと報告される。

「甘い物でうやむや戦術」は失敗だった。

フユの言い方がいかにもフユらしい。

ただ、この場面も少し切なかった。

フユは、これから毎年、若くて優秀な生徒たちが入ってくるのだから、自分たちはそろそろ違う仕事を探した方がいいのかねぇ、とつぶやく。

やはりフユは、自分たちの立場が危うくなることに気づいていた。

看護婦が増える。

それは病院にとっては進歩かもしれない。

でも、看病婦として働いてきた人たちにとっては、自分たちの居場所がなくなっていくことでもある。

フユには、若い看護学生にはない経験と技術がある。

それでも、制度が変われば、その経験が正当に評価されない可能性がある。

これはかなり切ない現実だと思う。

りんの講義中、ツヤは居眠りをしてしまう。

共に働く仲間と協力することも、看護の仕事では大切ですというりんの言葉を聞き、ヒデはツヤを起こす。

ここも気になった。

ツヤは怠けているわけではない。

むしろ、頑張りすぎて限界が近いのだと思う。

講義中に居眠りをし、仕事中にもふらつく。

かなり危険な状態に見える。

そんな中で、ヒデがツヤを起こしたことにも少し変化を感じた。

前回、ツヤは包帯の巻き方をヒデに教えた。ヒデはツヤの実技に驚き、看護が仕事であることに気づいた。

その関係が、今回も少し続いているように見えた。

シーツ交換をしているヒデに、患者が手紙を出してほしいと頼む場面も印象に残った。

ヒデは、それは看護ではないと断ろうとする。

するとりんが、ついでに出しておくと、ヒデの代わりに手紙を受け取る。

フユは、りんは忙しいのだから、それくらいあんたがやればいいでしょとヒデに言う。

しかしヒデは納得できない。

ヒデはりんを呼び止め、手紙を出すことが看護なのかと問う。

これは大事な問いだった。

りんは、あの患者さんは見舞客がいなく、手紙が心の支えになるなら、お助けしてもと説明する。

それに対してヒデは、それではそれは仕事ではなく、りんの善意で患者のお使いをすることかと聞く。

りんは、「そうかもしれません」と答える。

ここはとても難しい。

ヒデの考えは、バーンズ先生に近いのかもしれない。

看護は仕事であり、奉仕ではない。

何でも患者のためにやるのが看護だという考え方では、看護婦が際限なく消耗してしまう。

だから、仕事と善意の線引きは必要である。

一方で、りんの気持ちも分かる。

見舞客がいない患者にとって、手紙が心の支えになる。

それなら、手紙を出すことも患者を助けることになるのではないか。

身体だけでなく、心を支えることも看護ではないのか。

この二つの考え方の間で、りんは迷っているように見えた。

りんは、バーンズ先生に会いたいと直美に漏らす。

直美は、自分で考えなさいと叱られそうだから私はいいかなと答える。

直美らしい返しだった。

でも、まさにバーンズ先生がいたら、そう言いそうである。

答えを与えるのではなく、自分で考えなさい。

看護とは何か。

その問いが、またりんに突きつけられている。

夜分遅くに、丸山がりんの家にやってくる。

トヨが倒れたらしい。

長屋に駆けつけた直美とりん。

直美は問診をする。

しかし、看護婦は診断はできない。だから医者を呼ぶか、明日にでも病院にと提案する。

それに対してトヨは、直美が看てくれるだけで十分だと言う。

病院に行く金もないことを告げる。

すると直美は、お金は自分が出すと言う。

直美らしいが、これもまた難しい。

直美がやっと稼いだお金である。

トヨは、直美がやっとこさ稼いだ金なんだから、そんなことをしたら罰が当たって余計悪くなってしまうと言う。

嘉平も、こんなに威勢がよければ大丈夫だと言う。

ここでも、お金の問題が出てきた。

病院に行くべきだと分かっていても、お金がない。

看護婦が診断はできないと分かっていても、近くにいる直美に看てもらえるだけで十分だと思ってしまう。

医療とお金の問題は、やはり重い。

りんと直美が病院で学んだ看護を、庶民の暮らしの中でどう生かすのか。

ここは今後も大事になってきそうだ。

翌日、ツヤは仕事中にふらつく様子を見せる。

フユが心配して声をかける。

ツヤは大丈夫だと言う。

しかし、全然大丈夫には見えない。

講義中に居眠りして、仕事中にふらつく。

明日以降、ツヤが倒れるのではないかと不安しかない。

ツヤは「無理をしなければならない」と思い込んでいる

ツヤは、看護婦取締たちが無理を通してくれたのだから、自分も無理をしなければならないと思っている。

この考え方がとても危うい。

周りが助けてくれた。

だから自分も頑張らなければならない。

その気持ちは立派だが、無理を正当化してしまうと、体が壊れるまで止まれなくなる。

仕事をしながら講義を受け、遅くまで残って勉強する。

休めば給金が減る。

看護科の生徒とも、看病婦とも、看護婦とも違う立場で、一人で頑張り続けている。

ツヤは真面目で責任感が強い人間なのだろう。

だからこそ、壊れてしまわないか心配になる。

喜代の観察は、バーンズ先生の教えが生きていた

喜代は、ツヤが一人で苦しそうだと気づいた。

看護科の生徒とも、看病婦とも、看護婦とも違う。

この指摘はとても鋭かった。

喜代は病院で働く看護婦にはならなかったが、看護の目は失っていない。

バーンズ先生から叩き込まれた「観察」が、喜代の中に残っている。

患者だけでなく、人の置かれている状況を見る。

ツヤがどこにも属しきれず、苦しそうにしていることに気づく。

喜代はやっぱり、看護を捨てたわけではないのだと思う。

ヒデの問いは、バーンズ先生の考えに近いのかもしれない

ヒデは、患者の手紙を出すことが看護なのかとりんに問う。

これは、かなり大事な問いだった。

ヒデは、仕事と奉仕を完全に線引きしたいのだと思う。

手紙を出すのは看護ではなく、お使いではないのか。

その考え方は冷たく見えるかもしれない。

でも、看護は仕事であり、奉仕ではないというバーンズ先生の考えには近いのではないか。

一方で、りんは患者のためになるならと引き受けてしまいそうなところがある。

患者の心の支えになるなら、それも看護なのではないか。

ここで、看護とは何かという問いがまた戻ってきた。

ヒデの理屈も分かる。

りんの気持ちも分かる。

どちらが正しいと簡単には言えない。

フユは自分たちの居場所がなくなることを分かっている

フユは、これから毎年、若くて優秀な生徒たちが入ってくるなら、自分たちは違う仕事を探した方がいいのかねぇとつぶやいた。

これは切なかった。

看護婦を増やすことは、医療の進歩としては良いことなのだろう。

でも、その一方で、これまで現場を支えてきた看病婦たちの立場は危うくなる。

フユには、若い看護学生にはない技術と経験がある。

それなのに、制度が変わることで、居場所を失ってしまうかもしれない。

ツヤが看護婦になれれば、看病婦から看護婦への道が見える。

でも、フユのように年齢などの理由でその道に乗れない人もいる。

そこをどう描くのかは、かなり気になる。

直美は人と人をつなごうとしている

直美の「甘い物でうやむや戦術」は失敗した。

団子で看病婦と看護科の生徒たちの仲を取り持とうなんて甘い。

フユの言う通りだと思う。

ただ、直美がそうしようとしたこと自体は印象的だった。

昔の直美なら、他人同士が仲良くなろうが悪くなろうが、そこまで気にしなかったかもしれない。

でも今の直美は、看護婦取締として、現場の空気を良くしようとしている。

看病婦と看護科の生徒がぎくしゃくしていると、仕事にも影響する。

そこを何とかしようとしている直美は、少し変わったのだと思う。

まとめ

第64回は、ツヤの頑張りがかなり危うく見えてきた回だった。

看病婦から看護婦への道は簡単ではない。ツヤは周囲のサポートに恵まれている一方で、どこにも属しきれず、一人で無理を重ねているようにも見える。

また、ヒデの「手紙を出すことは看護なのか」という問いによって、仕事としての看護と、善意や奉仕との線引きも改めて問われた。

とにかく今は、ツヤが倒れないか心配だ。

『風、薫る』感想まとめはこちら

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