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『どんど晴れ』を全156話見ていると、どうしても気になってくることがある。
それは、イーハトーブの食事メニューが、あまりにもじゃじゃ麺に偏っていないかという問題である。
もちろん、盛岡が舞台なのだから、じゃじゃ麺が出てくるのは自然だ。むしろ出てこなければ困る。
だが、『どんど晴れ』のイーハトーブは、喫茶店であり、下宿先でもあり、若者たちのたまり場でもあるはずなのに、気がつけばかなりの頻度でじゃじゃ麺が出てくる。しかも一度ならまだしも、「またじゃじゃ麺」「またまた出ましたじゃじゃ麺」と、感想を書く側が思わずツッコんでしまうレベルで反復されるのである。
そこで今回は、ちょっと遊び心を持って、イーハトーブの食事メニュー統計調査をやってみたい。
裕二郎は本当にじゃじゃ麺しか作れないのか。
それとも、こちらの印象がじゃじゃ麺に引っぱられすぎているだけなのか。
感想メモをもとに、この“イーハトーブ麺事情”を整理してみたい。
結論から言うと、じゃじゃ麺の存在感は圧倒的だった
まず最初に結論を言ってしまうと、イーハトーブのメニューの中で、視聴者の記憶に一番強く残るのがじゃじゃ麺であることはほぼ間違いない。
なぜなら、感想メモの中でじゃじゃ麺は単なる料理名ではなく、「またか」と思わせる反復モチーフになっているからだ。
イーハトーブに帰ってきた夏美と佳奈の前で、ビリー、聡、アキが「またじゃじゃ麺を食べている」場面では、こちらも思わず「また、じゃじゃ麺食ってる!」と反応している。しかもそのとき、裕二郎は夏美にじゃじゃ麺を勧め、それを断られたあとでようやく冷麺を提案している。つまりイーハトーブにおけるデフォルトメニューは、少なくとも体感上、じゃじゃ麺なのである。
さらに別の日には、啓吾・房子・智也がイーハトーブに来たときにも、裕二郎は3人にじゃじゃ麺を振る舞っている。
つまり、少なくとも視聴者の印象としては、
イーハトーブ=じゃじゃ麺
という図式がかなり強く成立していたと言っていい。
じゃじゃ麺は単なる名物ではなく、イーハトーブの“基礎インフラ”だった
面白いのは、じゃじゃ麺がただのご当地メニューではなく、イーハトーブの場を成り立たせる“基礎インフラ”みたいになっていることだ。
誰かが帰ってくる。
集まる。
話す。
悩む。
するとそこに、だいたいじゃじゃ麺がある。
これはかなり象徴的だと思う。イーハトーブという場所は、単に食事を出す店ではなく、若者たちが集まり、人間関係が動き、感情が交差する“場”として使われている。そして、その場に一番よく置かれている料理がじゃじゃ麺なのだ。
つまりじゃじゃ麺は、「メニューの一品」というより、イーハトーブで人が生きていることを示す背景装置になっている。だからこそ、こちらも「あ、またじゃじゃ麺だ」と思いながら、いつのまにかその光景を当然のものとして受け入れてしまうのだろう。
では、本当に“じゃじゃ麺しか”ないのか
ここで公平のために言っておくと、イーハトーブが本当にじゃじゃ麺しか出していないわけではない。
感想メモの中でも、一度だけ、少なくとも「これはじゃじゃ麺ではなさそうだ」という麺料理が出てくる場面がある。
それが、夏美と佳奈がレンゲを使って食べている麺料理の場面だ。
この場面では、私は感想メモに「やっとじゃじゃ麺以外のものを食べているようだが、麺の感じだとあれは盛岡冷麺か?」と書いている。つまり、厳密な劇中説明はなくても、視聴者の目には少なくとも「じゃじゃ麺ではない麺料理」、しかもかなり有力に盛岡冷麺らしきものとして映っていたはず。
ここは大事である。
なぜなら、この一例があることで、「裕二郎は本当にじゃじゃ麺しか作れないのか」という疑惑に、いちおうの反証が出るからだ。
少なくとも、冷麺らしきものは出せる。
しかも、第26回で、じゃじゃ麺を断った夏美に対して、裕二郎は実際に冷麺を提案している。
このことから推測するに、裕二郎にはじゃじゃ麺以外の麺料理を作る能力はある。ただし、普段それを前面には出していないだけだ。
それでも「じゃじゃ麺しか作れない疑惑」が消えない理由
にもかかわらず、なぜここまで「裕二郎=じゃじゃ麺」という印象が消えないのか。
答えは単純で、視聴者の前に出てくる回数と印象の強さが違いすぎるからだろう。
冷麺らしきものは、感想の中でも「やっとじゃじゃ麺以外」と書かれるくらい珍しい。
つまり、たまに例外があっても、普段の標準装備がじゃじゃ麺である以上、視聴者の印象は覆らない。むしろ冷麺が出たことで、「やっぱり普段はじゃじゃ麺ばっかりなんだな」という事実が逆に強調されてしまっている。
だからこの疑惑は、厳密には「作れない」のではなく、
“作れるのに、あえてじゃじゃ麺を前に出しすぎている”
という形で残り続けるのだと思う。
実は、イーハトーブの外にまで「じゃじゃ麺欲」は広がっている
さらに面白いのは、じゃじゃ麺がイーハトーブの中だけの話では済んでいないことだ。
ある回では、加賀美屋の客・田辺が、「他の客には献立表にない料理を出したのだから、自分にもどうしても食べたいじゃじゃ麺を作ってほしい」と要求してくる場面がある。しかもこの件では夏美が、材料がないなら買ってきてでも作ってもらう、自分で作るという話にまで発展しかける。ここで分かるのは、じゃじゃ麺がイーハトーブの定番というだけでなく、盛岡の“どうしても食べたくなるもの”として、それなりの吸引力を持っているということだ。
つまり、イーハトーブにじゃじゃ麺が多いのは、裕二郎のレパートリー問題だけではなく、そもそもドラマ全体がじゃじゃ麺を「盛岡らしさのアイコン」として何度も使っていたからでもある。
そう考えると、イーハトーブのじゃじゃ麺偏重は、裕二郎個人の問題というより、『どんど晴れ』という作品全体の盛岡演出の方針だったのかもしれない。
統計調査の暫定結論 裕二郎は“じゃじゃ麺しか作れない”のではなく、“じゃじゃ麺を出しすぎる”
ここまでを踏まえると、この調査の結論はこうなる。
裕二郎は、たぶんじゃじゃ麺しか作れないわけではない。
少なくとも冷麺らしきものを出せる気配はある。
だから、技術的には他のものも作れるのだろう。
しかし、それでも視聴者に「またじゃじゃ麺か」と思わせてしまうくらい、じゃじゃ麺を前面に出しすぎているのもまた事実である。
イーハトーブに人が集まると、かなりの確率でじゃじゃ麺。
家族が来てもじゃじゃ麺。
夜食もじゃじゃ麺。
そして、盛岡らしさを出したい時にもじゃじゃ麺。
ここまで来ると、もはや疑惑というより、イーハトーブにおけるじゃじゃ麺偏重政策と呼んだほうがいいのかもしれない。
とはいえ、この“またじゃじゃ麺”感こそがイーハトーブの味でもあった
ただ、ここまで散々いじっておいて何だが、この「またじゃじゃ麺か」という感じは、イーハトーブの魅力の一部でもあったと思う。
というのも、イーハトーブはあの人たちの“居場所”だからだ。
誰かが悩み、誰かが帰ってきて、誰かが集まり、誰かが少し元気を取り戻す。そういう場所に、毎回しゃれた料理や豪華な定食が並んでいたら、逆に少し違っただろう。
いつもだいたい同じようにじゃじゃ麺が出てくる。
だからこそ、あそこは生活の延長にある、ほっとする場所に見える。
つまりじゃじゃ麺は、メニューの偏りであると同時に、イーハトーブの安心感そのものでもあったのだと思う。
最後に思うこと
結局、裕二郎は本当にじゃじゃ麺しか作れないのか。
この問いに対する答えは、おそらく「いや、たぶん冷麺も出せる」である。
ただし、
視聴者にそこまで思わせるくらいには、じゃじゃ麺を出しすぎていた。
これはほぼ間違いない。
そして面白いのは、その偏りが不満になるどころか、途中からむしろ「またじゃじゃ麺だ」と確認したくなるレベルで定着していくことだろう。
そう考えると、じゃじゃ麺は単なる料理ではなく、イーハトーブの空気を作る装置でもあった。
裕二郎はじゃじゃ麺しか作れないわけではない。
でも、『どんど晴れ』の視聴者の記憶の中では、たぶん一生、“じゃじゃ麺の人”のままなのだと思う。
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