朝ドラ『どんど晴れ』考察|加賀美屋を“組織”として見ると、この旅館の何が危うかったのか

どんど晴れ

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『どんど晴れ』を全156話見終えて、改めて感じるのは、この作品は「夏美の成長物語」であると同時に、「加賀美屋という組織の物語」でもあったということだ。

もちろん、画面の上では老舗旅館の風情や人情が前面に出ている。一本桜や座敷童のような象徴も美しく、加賀美屋はしばしば「守るべき場所」として描かれる。けれど、その内側を少し冷静に見ていくと、この旅館はかなり危うい。意思決定のルートは曖昧で、権限と責任の所在もねじれており、現場を支える労働の多くは属人的で、しかもしばしば無償化されている。

つまり加賀美屋は、情と伝統でかろうじて回っているが、現代の感覚で組織として見ると、かなり綱渡りの旅館だったのである。

私はこのことを、「だから加賀美屋はダメだ」と単純に言いたいわけではない。

むしろ逆で、加賀美屋を組織として見ると、このドラマの面白さがより立体的に見えてくると思っている。なぜカツノと環はぶつかり続けたのか。なぜ伸一は後継者として危うく見えたのか。なぜ恵美子はずっと苦しかったのか。なぜ夏美の存在が、単なるヒロイン以上の意味を持ったのか。

それは全部、加賀美屋という組織の構造に関わっている。

加賀美屋は「家業」ではあるが、「家だから仕方ない」で済ませられない規模の組織だった

まず前提として押さえたいのは、加賀美屋は単なる家族経営の小さな商売ではないということだ。

由緒ある老舗旅館であり、多くの従業員が働き、仲居・板場・番頭など役割分担もある。経営判断ひとつで従業員の生活や旅館の存続そのものが左右される。つまり、家の延長として語られがちではあるが、実態としてはかなり大きな組織なのである。

ところが加賀美屋では、その規模に見合った意味での組織運営があまりできていない。

旅館としての形式は整っていても、内部では「家の理屈」が強く、誰がどこまで決めるのか、どこまでが仕事でどこからが家の都合なのかが曖昧なまま進んでいく。そこに加賀美屋の根本的な危うさがある。

久則が社長でも、実権は別のところにある

加賀美屋を組織として見たとき、まず目につくのは、名目上の責任者と実際の実権者が一致していないことだ。

表向きの経営者は久則である。だが、久則は決断力が弱く、カツノにも環にも押されがちで、重要な局面では「だども」と言いながら及び腰になることが多い。大女将の隠居を切り出す場面でも、息子であるはずの久則は結局はっきり言えず、環や伸一のほうがよほど前に出ている。つまり、肩書きの上では社長でも、組織を動かしている感じが薄い。

一方でカツノは、すでに高齢で体調にも不安を抱えながら、なお大女将として強い影響力を持ち続けている。旅館の伝統と格式は自分が守るのだという意識が強く、環たちが考える建て替えや刷新には強く反対する。つまりカツノは、形式上は第一線を退くべき立場に近づいていても、依然として強い実権を握っている。

さらに環は、現場実務の中心として旅館を最もよく回している人物である。

仲居たちのことも、家のことも、加賀美屋の将来も考えている。言ってしまえば、加賀美屋で一番マネジメントをしているのは環であって、久則ではない。けれど環は嫁という立場でもあるため、「自分が言いすぎると角が立つ」「姑として、女将として、どう出るか」を常に気にしなければならない。権限は必要なのに、その権限がきれいには与えられていない。ここもまた組織としての歪みである。

加賀美屋の最大の問題は、後継者選びに失敗し続けていたこと

加賀美屋を組織論として見るなら、いちばん大きな論点はやはり継承だと思う。

この旅館では、誰が次を担うのかがずっと不安定だった。

カツノは本来、旅館を今のまま受け継いでくれる存在を望んでいる。環と伸一は、新しい経営や建て替えによって旅館を生き残らせようとしている。久則はその間で煮え切らない。柾樹は一度は外に出たが、カツノの要請で戻される。そして伸一は、自分こそが継ぐべきだという思いを強く持ちながら、組織を率いる器量には疑問符がつく。

つまり加賀美屋は、次の時代の正統性を誰に託すのかを決めきれないまま、長い時間を過ごしてきた。

この状態が危ないのは、単に後継ぎが定まらないからではない。

後継者をめぐる迷いが、組織全体の判断の遅れや対立に直結しているからだ。伸一が強権的になるのも、自分の立場が不安定だからだろうし、環が最後まで迷うのも、息子を選ぶか旅館を選ぶかという二重の苦しみを抱えているからだろう。加賀美屋では、継承問題が単なる家族間の感情ではなく、組織全体の不安定要因になっている。

伸一がトップに見えなかったのは、能力より先に“組織観”が危ういからだった

伸一については、視聴者として見ていてもかなり評価が割れやすいと思う。

加賀美屋を守ってきた側の人間であり、焦りや苛立ちがあるのも理解できる。けれど、組織のトップ候補として見ると、やはりかなり危うい。

その危うさは、能力の有無というより、まず言葉と人の扱い方に出ている。

伸一は「俺が決めたことに口答えするな」という類いの発言を平然とする人物で、恵美子に対しても、女将になれる女だから結婚したのだと言い放つ。こうした言動を見ると、仮に旅館経営の知識や現場経験があったとしても、部下や家族を一つの組織としてまとめる資質にはかなり不安がある

しかも伸一の構想はしばしば独走気味で、家族や現場との合意形成が弱い。

後半では秋山の話を信じて資金計画を進め、家族を不安にさせる。そこには「自分の案のほうがこれからの加賀美屋のためになる」という強い思いはあるが、組織を率いるうえで必要な説明責任や合意形成が足りない。組織のトップに必要なのは、ただ強く出ることではない。人を納得させ、支えを集め、異論も含めてまとめる力だ。その意味で、伸一はかなり危うい。

恵美子は「戦力不足」ではなく、見えにくい基盤労働を担っていた

加賀美屋を組織として見たとき、もっと評価されるべきなのが恵美子だと思う。

作中では、恵美子は若女将としては頼りないように見られる場面が多い。

子どもの世話に手がかかり、旅館の仕事に十分入れず、周囲からは「いつ若女将修業が始められるのか」と見られる。だが、組織論的に見ると、これはかなり偏った見方だ。恵美子は、子育てと母屋の家事という、旅館の基盤を支える労働をずっと担っている。しかもそれは、旅館の売上には直接カウントされにくいが、なくなれば組織全体が崩れる種類の仕事である。

だから、恵美子を「女将に向いていない人」とだけ見るのはかなり雑だと思う。

むしろ組織全体のなかで見ると、恵美子は表に出ないケア労働と家庭内運営を担っていた人であり、それは加賀美屋という組織が成り立つうえで不可欠な役割だった。なのに、その労働は感謝されるより、「女将になれない弱み」のように扱われることが多い。この構図は、現代の組織論で見てもかなり厳しい。見える成果だけが評価され、見えにくい基盤労働が当然視されているからだ。

加賀美屋の「しきたり」は、理念というより属人的ルールに近い

加賀美屋を組織として見たとき、かなり厄介なのが「しきたり」の存在である。

しきたり自体が悪いわけではない。

老舗旅館であれば、理念や文化や共有された作法があるのは当然だし、それ自体が強みになることもある。問題は、そのしきたりがどこまで一貫していて、どこまで公平に適用されるかである。

加賀美屋では、この部分がかなり怪しい。

たとえば「下の者のミスは上の者が責任を取る」というルールが出てくる一方で、その運用はいつも明快とは言い難い。そのせいで現場の責任の所在はむしろ曖昧になる。

組織に理念は必要だが、理念がルールより上に来すぎると危ない。

加賀美屋では、しきたりが組織文化として機能している場面もある一方で、時に判断の一貫性を壊し、責任を曖昧にし、人によって運用がぶれる原因にもなっている。これは老舗ならではの味わいであると同時に、組織としてはかなり危うい。

それでも加賀美屋が崩れきらなかったのは、「家族の和」と現場の信頼がまだ残っていたからだ

ここまで書くと、加賀美屋はもうとっくに壊れていてもおかしくない組織に見える。

実際かなり危うい。けれど、それでも最後まで完全には崩れなかった。そこもまた加賀美屋の面白いところだと思う。

その理由の一つは、やはり家族としてのつながりが残っていたことだろう。

環が苦しみながらも「一番大切なものは家族の和だ」と言い、夏美も「家族のみんなと一緒に加賀美屋を守り抜く」と応じる。このあたりは、現代の会社の論理だけでは説明しにくいが、加賀美屋という組織の最後の強みだったと思う。単に血縁があるということではなく、壊れそうになってもなお「この旅館を一緒に守りたい」と思える気持ちが残っていた。

もう一つは、現場にまだ信頼が残っていたことだ。

浩司のような良心もいれば、仲居たちの支えもある。夏美のように人の間をつなぐ存在も出てくる。制度や権限分配はかなり危ういのに、それでも人が人としてつながっていることで持ちこたえる。これは弱い組織の特徴でもあるが、同時に強さでもある。

加賀美屋は、仕組みで回る強い組織ではない。けれど、人間関係の蓄積で何とか持ちこたえる組織だったのだと思う。

加賀美屋は「よくできた老舗旅館」ではなく、「危ういが魅力のある組織」だった

『どんど晴れ』を組織論として見ると、加賀美屋は決して理想的な経営体ではない。

意思決定は曖昧で、継承は失敗し続け、責任の所在はねじれ、ケア労働は見えにくいまま女性に偏り、しきたりの運用も一貫しない。現代の感覚で見れば、かなり危うい。むしろ、よくここまで持ったなと思うくらいである。

でも、だからこそ加賀美屋はただの「古い旅館」ではなく、見る価値のある組織になっていたのだとも思う。

整った理想の会社ではない。むしろ、家族経営や老舗組織が抱えがちな問題がかなりむき出しになっている。だからこそ、カツノと環の対立も、伸一の焦りも、恵美子の苦しさも、夏美の役割も全部が生きてくる。

『どんど晴れ』は、夏美が女将になる物語である以上に、加賀美屋という危うい組織が、何を守り、何に失敗し、どうにか持ちこたえようとしたかの物語でもあった。

そう見てみると、このドラマの輪郭はまた少し違って見えてくる。

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『どんど晴れ』を最後まで見て、スペシャルも気になっている方へ。

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