『どんど晴れ』再放送に意味はあったのか|全156話を書き切って見えた“今の読者が反応した問題”

どんど晴れ

本記事にはアフィリエイト広告を利用しています。

『どんど晴れ』再放送の最終回を迎えて約1週間が経過し、この記事の他にもう一本、他の朝ドラとのアクセス傾向が違うという視点での記事も書いて終わろうかと思ったが、もう、ほとんどアクセスもなくなってきたのでこれで『どんど晴れ』記事は最後とする。最後の記事は156回全てを見て、全ての感想記事を書いたからこそ、言っておくべきことなんじゃないかと思う記事にした。

『どんど晴れ』の再放送を見ているあいだ、「なぜ今このドラマを放送するのか分からない」とか、「こんなどうしようもないドラマは早く打ち切ってしまえばいい」という声を見かけたことがある。たしかに、『どんど晴れ』は古い価値観や理不尽な展開も多く、見ていて苛立つ場面のあるドラマだと思う。

けれど、全156話の感想を書き切った今、私はむしろ逆のことを思っている。この再放送には、今だからこそ意味があったのではないか、と。

そう思う理由は単純だ。私のブログで、全156話の感想記事の中でも明らかにアクセス数が突出していた回が二つあったからである。ひとつは、時江が理不尽に解雇される第41回。もうひとつは、翼のそばアレルギー事件につながる第39回だ。

この二つの回だけが目に見えて読まれたという事実は、少なくとも今の読者が『どんど晴れ』を単なる昔の朝ドラとしてではなく、「理不尽な処分」「アレルギー事故」「しきたりの異様さ」といった、今でも十分に切実な問題を含んだ物語として受け止めていたことを示しているように思う。

今回は、『どんど晴れ』というドラマがなぜ今再放送する意味を持ち得たのかを、私自身の感想だけではなく、実際に読まれた記事の傾向から考えてみたい。

「なぜ今『どんど晴れ』なのか分からない」という声はたしかに分かる

まず最初に言っておきたいのは、否定的な意見を持つ人たちの感覚も私は分かるということだ。

『どんど晴れ』は、現代の感覚で見るとかなり引っかかる場面が多い。登場人物同士のコミュニケーションは不十分だし、理不尽な上下関係や、納得しにくいしきたりも多い。主人公の行動にも、見ていて「それはさすがにまずいだろう」と思う場面がある。

特に第39回では、時江が明確に「駄目です」と止めていたにもかかわらず、夏美は翼をさんさ踊りへ連れ出してしまう。しかもその時点で、夏美にはまだ仲居としての仕事が残っているはずであり、仕事中に職場を離れているようにしか見えない。実際、見ていた当時の自分も「懲戒処分ものだろう」と感じたほどで、このあたりの無茶な行動にはかなり強い違和感があった。

だから、「このドラマを今見せる意味があるのか」と思う人がいるのは自然だと思う。

ただ、問題はそこから先だ。その違和感や苛立ちがあるからこそ、逆に今の読者が強く反応した回があったのではないか。私は全話を書き切って、そこに再放送の意義があったのではないかと考えるようになった。

全156話を書き切って見えた、明らかに読まれた二つの回

私のブログでは、全156話の感想記事の中でも、ある二つの回だけが明らかに突出して読まれた。

それが、第39回と第41回である。

第39回は、翼が母とさんさ踊りを見に行けなくなり、夏美が「自分が連れていきたい」と時江に頼むが、時江ははっきりと「駄目です」と止める回だ。その時点で、時江は十分に正しい判断をしていたし、時江が常識的にストップをかけてくれたことをむしろ評価していた。

そして第41回は、翼のアレルギー発作の責任をめぐって、時江が解雇される回である。ここで異様なのは、時江が何もしていなかったわけでも、夏美を放置していたわけでもないことだ。第39回の時点で止めていたのに、それでも結果として責任を取らされる。しかもそれは、加賀美屋にある「下の者のミスは上の者が責任を取る」というしきたりによるものだった。

もちろん、アクセス数が高かったからといって、読者全員が同じ感想を持っていたと断言することはできない。

けれど、少なくともこの二つの回に強い関心が集中したのは事実である。そして、その集中の仕方は偶然とは思えない。恋愛の盛り上がりでも、感動的な名場面でもなく、アレルギー問題と理不尽な解雇が最も読まれた。この一点だけでも、今の読者が『どんど晴れ』の中に“今でも痛い問題”を見ていたことは十分に示唆されていると思う。

第39回が読まれた理由|そばアレルギー事件は“昔のドラマの話”ではない

第39回が読まれた理由として、まず大きいのは、そばアレルギーという問題自体がまったく過去のものではないということだと思う。

『どんど晴れ』のこのエピソードは、単に「昔の朝ドラで起きた大騒動」ではない。子どもの安全、食物アレルギー、善意の暴走、現場での判断ミス、そして「誰が何を知っていて、どこで止めるべきだったのか」という責任の問題が一気に噴き出す構造になっている。

時江は夏美を止めていた。それでも夏美は強行した。しかも、翼は一見しっかりしていても、実際には母との時間をずっと楽しみにしていた10歳の子どもであり、その寂しさがこの件の背景にある。だからこの事件は、単なる「主人公のおせっかいが裏目に出た」という話では終わらない。子どもの気持ちに同情しやすいからこそ、大人の判断ミスの危うさがより際立って見える。

ここが重要だと思う。

この回が読まれたのは、「昔のドラマなのに今の問題に見えるから」ではなく、むしろ昔のドラマの中に、今の私たちがまったく他人事にできない問題がそのまま入っていたからだ。食物アレルギーへの関心が高い現代だからこそ、この回の危うさはよりはっきり見える。逆に言えば、今この再放送があったからこそ、「あの時代のドラマの中にも、今の視点で見るべき問題があった」と気づけたとも言える。

第41回が読まれた理由|時江の解雇で見えたのは、加賀美屋の“しきたり”の理不尽さだった

そして、もう一つの突出した記事が第41回だったことは、さらに象徴的だったと思う。

この回では、翼のアレルギー発作の責任をめぐって、夏美本人ではなく教育係の時江が解雇される。ここで重要なのは、時江が夏美を放置していたわけではないということだ。第39回の段階で、時江は夏美に対して、翼をさんさ踊りに連れていくことをはっきり禁じ、勝手な行動をしないよう何度も注意していた。それにもかかわらず、夏美は指示に反して動き、結果として重大な事故が起きた。

にもかかわらず、第41回で責任を取らされたのは夏美ではなく時江だった。

その理由として働いていたのが、加賀美屋にある「下の者のミスは上の者が責任を取る」というしきたりである。つまりこの回の理不尽さは、単純に「弱い立場の人に責任が押しつけられた」ということではない。むしろ、十分に指導し、止めようとしていた上の者であっても、下の者が勝手な行動を取れば、人生を左右する責任を負わされるという、しきたりそのものの異様さにあった。

しかも、このしきたりは一見すると厳格なようでいて、常に公平に運用されているようには見えない。普通の会社なら行為者本人が責任を取るような場面でも、加賀美屋では別の理屈が働いていることが整理されていた。

ここで読者が引っかかったのは、単に「時江がかわいそうだった」からではないだろう。

正しい指導をしても救われない。止めようとしても救われない。しきたりがあるせいで、まっとうにやっていた人まで処分される。しかも、そのしきたりはどこか恣意的に見える。この構造の異様さこそが、第41回の記事が読まれた大きな理由だったのではないかと思う。

今の読者が反応したのは、懐かしさではなく“今でも痛い問題”だった

ここで改めて考えたいのは、なぜこの二つの回が突出して読まれたのかということだ。

『どんど晴れ』には、もっと分かりやすく盛り上がる回もある。恋愛の揺れ、加賀美屋の危機、再生の感動、一本桜の象徴性。そういう朝ドラらしい見どころはいくつもある。にもかかわらず、アクセスが大きく伸びたのは、アレルギー問題と理不尽な解雇だった。

これは、少なくとも私のブログの読者が、このドラマを「昔の懐かしい朝ドラ」として消費したのではなく、今の感覚で引っかかる問題を見つけ、その違和感を確かめたくて記事を読んだことを示しているように思う。

アレルギー事故への関心の高さ。

問題発生時の責任の所在への敏感さ。

そして、きちんと指導していても救われない仕組みへの違和感。

そういうものが、この二つの回のアクセスに表れていたのではないか。

私はここに、この再放送の大きな意味があったと思っている。

昔のドラマをただ懐かしむだけではなく、そこに描かれた問題を今の感覚で読み直すことができた。その読み直しに、実際に多くの反応が集まった。ならば、それは十分に「今放送する意味があった」と言えるのではないか。

とはいえ、第3位が“ジュンソ回”なのも、なんだかんだで『どんど晴れ』らしい

ただ、ここまで理不尽な解雇やアレルギー問題のような、かなり切実な話をしておいて何だが、このアクセス傾向にはもう一つ、少しおかしくて、でも妙に『どんど晴れ』らしい点がある。

それは、第1位と第2位がかなり社会的な問題をはらんだ回だったのに、第3位に入ってくるのが韓流スター・ジュンソの回だということである。

加賀美屋に韓国の人気俳優ジュンソが現れ、仲居たちが一気に色めき立ち、則子がみんなにジュンソのことをレクチャーし、時江まで雑誌を見て「韓国の有名俳優だ」と気づく。今振り返ると、このあたりには、2000年代半ばの“韓流スターが特別な輝きを放っていた時代の空気”がそのまま閉じ込められているような面白さがある。

つまり、『どんど晴れ』で今の読者が反応したのは、理不尽な処分やアレルギー事故のような“今でも痛い問題”だけではなかったということだ。

一方ではそういう現代につながる論点に引っかかり、もう一方では「いたいた、こういう韓流スター」「あの頃こういう空気あったな」と懐かしんでしまう。そういう、社会的な引っかかりと時代の空気の愛おしさが同居しているところも、また『どんど晴れ』というドラマの独特さなのだと思う。

真面目な問題がアクセス上位を占める中で、第3位にしれっとジュンソが入ってくるあたり、いかにも『どんど晴れ』らしい。

理不尽なしきたりやアレルギー問題に引っかかりつつ、韓流スター登場にはちゃんと心がざわつく。そういう雑多さまで含めて、このドラマはやはり妙に印象に残る作品だったのだと思う。

だから私は、『どんど晴れ』の再放送には意味があったと思う

『どんど晴れ』は、決して万人に勧めやすい完璧なドラマではない。

理不尽な展開も多いし、古さを感じる場面も多いし、見ていて腹が立つこともある。だから、「なぜ今これを再放送するのか分からない」という声が出るのも理解できる。

それでも、全156話を書き切り、そしてどの記事が実際によく読まれたかを見た今、私はこの再放送には確かな意味があったと思っている。

それは、『どんど晴れ』が昔のドラマでありながら、今の読者が無視できない問題をちゃんと含んでいたからだ。第39回のそばアレルギー事件も、第41回の時江の解雇も、ただの昔の朝ドラの騒動では終わらない。そこには、子どもの安全、現場判断の重さ、理不尽な処分、そして「しきたり」の名のもとに正しい指導者まで切り捨ててしまう構造といった、今でも十分に切実な論点があった。

視聴者全体がどう感じたかを、私は断定するつもりはない。

けれど、少なくとも自分のブログで起きた反応を見る限り、この再放送は「今の読者が現代的な問題を考えるきっかけ」にはなっていた。だから私は、『どんど晴れ』は今再放送する意味があったと言いたい。

むしろ、時代遅れに見える部分があるからこそ、今の私たちはそこに引っかかり、考え、言葉にしたくなるのかもしれない。

そして、その“引っかかり”こそが、古いドラマを今見る一番大きな意味なのだと思う。

『どんど晴れ』感想まとめはこちら

『どんど晴れ』を最後まで見て、スペシャルも気になっている方へ。

『どんど晴れスペシャル』の視聴方法を別記事にまとめました。NHKオンデマンドで見つからない場合の候補も整理しています。

→ 『どんど晴れスペシャル』はどこで見られる?NHKオンデマンドにない?DVDレンタルで見る方法

広告

懐かしい朝ドラをもう一度見たい方はこちら → NHKオンデマンドでは見られないけどTSUTAYA DISCASで楽しめる朝ドラ5選

タイトルとURLをコピーしました