本記事にはアフィリエイト広告を利用しています。
2026年3月31日放送の『風、薫る』第2回は、りん(見上愛)たちの村に少しずつコロリの影が近づいてくる一方で、祭りの華やかさや家族のぬくもりも描かれた回だった。直美(上坂樹里)が置かれている東京での厳しい暮らしと、那須の祭りの賑わいが同じ回の中に並べられることで、明るい日常のすぐ隣に不安や差別があることがいっそう際立っていた。
今回いちばん重かったのは、コロリそのものの恐ろしさ以上に、感染した人やその家族に向けられる村人たちの視線だったように思う。りんが最後に口にした「怖いのは人」という感覚は、この回の核心そのものだった。
前回の感想記事はこちら

第2回のポイント
- 隣町でコロリの発症者が出て、一ノ瀬家でもその受け止め方の違いが描かれた。
- 祭りの準備や当日の賑わいを通して、村の日常の明るさも描かれた。
- 東京では、直美がマッチ工場で厳しい労働と扱いの中に置かれていた。
- ラストでは虎太郎の母にまでコロリが及び、事態が一気に身近なものとして迫ってきた。
個人的に印象に残ったこと
今回まず面白かったのは、一ノ瀬家の中でもコロリへの捉え方がかなり違っていたことだった。美津(水野美紀)は「一度かかると七割が死ぬ」と恐れているのに対して、りんはまだ隣町の宿屋の客が一人かかっただけだとどこか楽観的で、新右衛門(北村一輝)もまだ自分たちの村には出ていないと落ち着いている。そして安(早坂美海)は病そのものより、祭りがどうなるかを気にしている。この温度差が妙に生々しかった。
令和の人間から見ると、どうしてもコロナ禍を思い出さずにはいられない。最初はまだ遠くの話のように感じていたものが、少しずつ生活圏に近づいてきて、家族や周囲でも受け止め方がバラバラになる。あの感じがすごくリアルだった。時代は違っても、感染症が広がる時に人が見せる反応の根っこの部分はあまり変わらないのかもしれない。
その一方で、前半には祭りの浮き立つような空気がある。りんが習字そっちのけで紙飛行機を作っていたり、祭囃子に反応してしまったりする様子は、いかにもりんらしくて微笑ましかった。だからこそ、その後に描かれる感染者への視線や、村人たちのあからさまな偏見がより重く見える。明るい場面がしっかりあるから、後半の苦さが際立つ構成になっていたと思う。
そして今回かなり印象的だったのが、新右衛門の「学ぶことは時に世を渡る翼となり、身を守る刀になる」という言葉だった。ここで週タイトルの「翼と刀」が回収されたわけだが、ただ洒落た言い回しというだけでなく、この物語全体の核になる言葉にも見えた。新しい時代を生き抜くには、学びが必要だという新右衛門の考えがよく伝わってきたし、りんがこれから看護の道へ進んでいく話とも確実につながっていくのだろうと思わせる台詞だった。
後半でコロリの感染者が出た家の前に村人たちが集まり、家族が「すんません、すんません」と謝る場面はかなりきつかった。しかも、感染者の世話をする下男に向かって「よっぽど金が欲しいんだわな」と言い放つ人までいる。病そのものだけでなく、病人を出した家や関わる人間まで汚れたもののように見る感覚は、今の時代でも完全には消えていない。だからこそ、りんと虎太郎(小林虎之介)が「どうして謝るの」「好きでコロリになったわけじゃねえのに」とこぼす姿が強く残った。あの二人だけが、病そのものではなく、その周りに集まる人間の残酷さを真っ先に見ていたように思う。
ラストでりんが新右衛門に「怖くなってきた」と言った時、新右衛門はきっとコロリへの恐怖だと受け止めたのだろう。でもりんが怖いと思ったのは病ではなく「人」だった。この言葉が今回いちばん重かった。感染症が恐ろしいのは命を脅かすからだが、同時に人の中にある偏見や排除の感情をあぶり出してしまうところにも怖さがある。第2回は、そのことをかなり真正面から描いた回だったと思う。
祭りの華やかさと感染症への偏見が、同じ村の中に同居している
今回の構成でうまかったのは、祭りの楽しさと感染症への恐れを真逆のものとして置きながら、実はどちらも同じ共同体の中から生まれているものとして描いていたことだと思う。祭りの場では皆が浮き立ち、笑顔になり、獅子舞に噛まれて一ノ瀬家も明るい空気になる。けれど、感染者が出た瞬間、その「みんな」は簡単に排除する側にも回る。
つまり、この村の温かさと残酷さは別のものではなく、同じ共同体の裏表なのだろう。結びつきが強いからこそ祭りは盛り上がるし、同時に異物への拒絶も強くなる。そのことが今回よく見えた気がする。
新右衛門は、りんに「学ぶ力」を残したかったのかもしれない
新右衛門が本当はりんを女学校に入れてやりたかったと言う場面も印象に残った。経済的な事情なのか、身分や時代の壁なのか、理由はまだはっきりしないが、少なくとも新右衛門が「これからの時代は学問が大事だ」と本気で考えていることはよく分かる。
りんと安は、新右衛門に教わればいいと気楽に受け止めているが、新右衛門の方はもっと切実なのかもしれない。武士としての時代が終わった後、自分が何を失い、何を残せるのかを考えた時に、娘に渡せるものは財産や家柄ではなく、学ぶことの大切さだと思っているようにも見える。前回から続いている「何を継がせるのか」という問いが、今回は少し違う形で見えた気がした。
直美が英語を話せるのに、なぜ工場で働いているのか
東京パートでは、直美の置かれた状況の厳しさがますますはっきりしてきた。失敗が多いからと給料を減らされ、見下され、雑用まで押し付けられる。それなのに、ふとした瞬間に英語で悪態をつく。英語が話せるほどの知識や素地があるのなら、どうして今こんな低賃金の環境に閉じ込められているのかという疑問は強まるばかりだ。
ここには、単純な学力の有無では覆せない階層や境遇の問題がありそうだし、直美自身の過去にもまだ見えていない事情があるのだろう。学ぶことが「翼」や「刀」になるという新右衛門の言葉が出た回だからこそ、知識があってもなお自由になれない直美の状況はより意味深に見えた。
マッチ工場で失敗しお給金を減らされてしまった不器用な直美ですが、
スリを捕まえ、お財布を取り戻すというたくましさもある女性です✌️#上坂樹里#風薫るオフショット▼見逃し配信はこちらhttps://t.co/TT4ZoVZbts pic.twitter.com/LKS3t7rhjM
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) March 30, 2026
りんと虎太郎の関係は、恋心だけでなく「同じ側に立てるか」が問われていきそう
虎太郎が一ノ瀬家を訪ねてきて、美津が東京に縁談の相談に行ったと聞いてあからさまに動揺する場面は、かなり分かりやすくてかわいかった。安の縁談だと分かって安心している様子を見て、りんもさすがに何かを感じたように見える。このあたりは素直に微笑ましい。
ただ、今回印象に残ったのは、恋の気配そのものよりも、感染者の家族に向けられる視線の中で、りんと虎太郎が同じ感覚を持っていたことだった。「どうして謝るの」と自然に思えることは、あの村の中では決して当たり前ではない。二人は感情の面でも価値観の面でも、同じ側に立てる相手なのかもしれない。
その意味で、ラストで虎太郎の母にコロリが及んだことはかなり大きい。これから虎太郎の家も村から避けられるのか、りんがそこにどう関わっていくのか。恋の話だけでは済まない局面に一気に入っていきそうだ。
まとめ
2026年3月31日放送の『風、薫る』第2回は、祭りの賑わいと感染症の恐怖を対照的に見せながら、ほんとうに恐ろしいのは病そのものだけではなく、それに反応する人の心でもあることを描いた回だった。りんが最後にたどり着いた「怖いのは人」という言葉は、この先の物語を考える上でもかなり大きな一言だったように思う。
一方で、新右衛門の学問観、直美の境遇、虎太郎の家に迫るコロリと、次につながる要素もしっかり積まれていた。前半の華やかさがあるからこそ、後半の痛みがより強く残る。第2回は、見終わったあとにじわじわ効いてくる回だった。
『風、薫る』感想まとめはこちら
懐かしい朝ドラをもう一度見たい方はこちら → NHKオンデマンドでは見られないけどTSUTAYA DISCASで楽しめる朝ドラ5選
