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2026年3月20日に放送された『どんど晴れ』第131回。
第131回は、前回から続く前田夫妻の接客トラブルがついに核心まで描かれた回だった。夏美の予約取り違えによって常連客へのいつもの対応ができず、「来る者、帰るが如し」という加賀美屋の看板そのものが揺らいでしまう。けれど今回重かったのは、単なる接客ミスでは終わらなかったことだ。15年前に大女将・カツノが前田夫妻を救っていたという事実が明かされ、その失敗がどれだけ深い意味を持つものだったかがはっきりした。一方で、今回の事故は本当に夏美一人の弱さだけで説明できるのかという疑問も残る。大女将の不在、まだ整いきっていない新しい仕組み、そして若女将に求められる厳しさ。今回は加賀美屋の“継承”の難しさが一気に表面化した回だった。
※この回は、前日の展開を踏まえて見ると、より重みが増します。
👇 前回(第130回)の感想はこちら

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「来る者、帰るが如し」はウソなのか――前田の失望と、加賀美屋の“常連対応”の危うさ
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夏美(比嘉愛未)が、前田(北見敏之)に「来る者、帰るが如しはウソだったのか」と問われ、理由を聞こうとしたところへ環(宮本信子)が駆けつける。
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環は、相手が常連の前田夫妻だとすぐに気づく。
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そして、前田の妻は生の貝が苦手なのに、アワビの刺身が出されていることにも気づく。
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環はその場で料理を変更させ、仲居もいつも担当している清美8中村優子)に替え、さらに部屋もいつもの楓の間へ変更させる。
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前田は「こんなことは初めてだよな」と言い、環は自分の不行き届きだと詫びる。
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夏美もまた、自分の責任だとして謝罪する。
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前田は、別に怒っているわけではないが、大変世話になった大女将にせめて線香の一本でもあげたくて来たのに、初めて来たような接客を受けて少し寂しい気持ちになったと話す。
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その話を聞き、夏美と環は深く頭を下げて謝罪する。
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帳場では、久則(鈴木正幸)・伸一(東幹久)・柾樹(内田朝陽)が顧客データベースを確認し、「前田啓輔」の次のページに「前田啓介」が記載されていることが判明する。
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久則は、漢字一文字違いなら夏美も間違えてしまうと庇う。
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前田の部屋から出てきた環と夏美に対し、時江(あき竹城)は同姓同名のお客様がいたことを説明する。
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環は時江に、すぐに清美を呼ぶことと部屋変更の手配を命じる。
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さらに夏美には、浩司に事情を説明してすぐ別の料理を作ってもらうよう指示し、ひと段落したら離れに来るように伝える。
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個人的感想
前日の感想でもかなり語ってしまったが、やっぱりこれはどこか納得がいかない。前日も書いたとおり、自分は常連なんだから何も言わなくても全部察しろというのは、やはり無茶ではないかと思う。生の貝がダメだというのも、それが単なる好き嫌いなのか、食べると体に害があるレベルのものなのかで事情はだいぶ違うはずだ。もし体に害があって絶対に避けるべきものなら、予約のたびに何度でも伝えるべきだろうし、ただの好みの問題なら毎回言うのは面倒だと思ってしまう気持ちも分かる。だからこの客側の態度を無条件に正しいとはやはり思えない。
それに、環が来てから料理の変更、仲居の変更、部屋の変更まで全部受け入れているのを見ると、そこまでしてもらわなくてもいい、と前田の側から引くこともできたのではないかと思ってしまう。大女将に線香の一本でもあげたくて来たという話が本心ならなおさら、旅館側がここまで慌てて全面的に変更対応しなくても、少し寂しかった、でも仕方ないで済ませる余地もあったはずだ。そう考えると、前田の中にはやはり「自分は常連で特別だ」という意識がかなり強くあるように見える。
佳奈(川村ゆきえ)のことも気になる。常連だから何度も見ている岩手山を勧めたところで感動は薄いかもしれないが、佳奈自身は一生懸命接客していたはずで、そこまで大きな落ち度があったとは思えない。それなのに結果として清美に担当が替えられる形になったのは、佳奈からすると、自分の接客そのものが否定されたように感じてもおかしくない。前田が「常連として扱われなかった」ことに不満を持っているのだとしても、そこから担当替えまで行くと、初めてのように接したことだけでなく、佳奈自身が気に入らなかったという含みまで出てきてしまう。清美に変更しなくても佳奈に常連対応させる形でもいいじゃないか。
前田の「別に怒っているわけではないが、少し寂しい気持ちになった」という言い方にも、正直かなり引っかかった。いやいや、前日の放送ではアワビの刺身を見た瞬間に「女将を呼んでくれ。すぐにだ!」とかなり強い口調で言っていたじゃないか、と。あれで「怒ってはいない」はさすがに通らないだろうと思ってしまう。自分は夏美に対して「来る者、帰るが如しは”ウソ”だったのか」とまで言っておきながら、自分の感情については少し寂しかっただけだと丸めてしまうのはずるく見える。
こういう客の要望を全部飲むことがおもてなしなのだとしたら、これは柾樹が問題視していた“悪しき慣習”そのものではないかとも思う。これでは、どんな状況でも旅館側が全面的に謝って全部調整する構図になってしまう。実際今回も、謝罪だけではなく料理も、仲居も、部屋も全部前田の希望に沿う形で変わっている。前田の側だって、予約の段階やチェックイン時に「大女将に線香をあげたい」と一言言っていれば、常連客の前田啓介の方かもしれないと気づく手がかりになったはずだ。だから前田にも落ち度はある。無理が通れば道理が引っ込むような構造はやはりおかしいと思う。
帳場でデータベースを確認すると、前田啓輔の次のページに前田啓介がいた。これは作ったばかりのシステムなら誰が予約を受けても間違えた可能性は高いと思う。ただ、この失敗によって、少なくとも次からは再発防止ができるはずだ。「境目の人は次ページも確認する」といった単純なルールを加えるだけでも、今回と同じ事故はかなり防げるだろう。
そして改めて気になるのが、仲居の“指名”の問題だ。以前から、夏美を指名するお客様が増えてきたという話に少し気持ち悪さを覚えていたが、今回も結果として前田は佳奈から清美への担当変更を求めたような形になっている。常連客として扱われなかったことへの不満があるなら、佳奈に事情を伝えてそのまま続けることもできたはずだ。それでも担当替えが入るということは、結局“誰が接客するか”まで客の側の意向が強く反映される構造になっているということだろう。これでは、特定の仲居を気に入っている客が来るたびに、その仲居は休みにくくなる。極端に言えば、半ば強制的に働かされることにもなりかねない。この仲居の指名制度はやはりかなりいびつで、できるなら柾樹には廃止する方向で改革してほしいと思ってしまう。
環が「マエダケイスケ」という同姓同名の客がいると聞いたときに、「ああ…」というような反応を見せたのも印象的だった。あれは要するに、環は12回宿泊している前田啓介のことは当然知っているが、1回しか泊まっていない前田啓輔のことは覚えていないということなのだろう。ここで少し考えてしまう。もしデータベースを使わず、従来どおり環の記憶ベースで受付していたら、前田啓介の怒りはたしかに回避できていたかもしれない。だが逆に、1回しか泊まっていない前田啓輔がまた来た場合には、音だけで環が前田啓介だと思い込んで、過剰な常連対応をしてしまう可能性もある。古くからいる仲居たちだって、15年間で12回、年1回も来ていない客の顔を完璧に覚えていられるかといえば、正直かなり怪しい。少なくとも自分自身は年に1回しか会わない人の顔を覚えている自信はない。やはり環やカツノ(草笛光子)の記憶力が異常だったと考える方が自然な気がする。
最後に身も蓋もないことを言えば、この日アワビのいいものが入っていなければ、生の貝の刺身が出ることもなく、前田と佳奈の間に違和感だけを残したまま翌朝を迎えていたのかもしれない。昨日は、データベースを作ったのに運用まで落とし込めなかった柾樹が悪いのではないかという方向で考えていたが、ここまで来ると、浩司(蟹江一平)の手に渡ってしまった活きのいいアワビが悪いんじゃないかとすら思えてくる。
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前田が怒っているのは“料理”ではなく、“自分たちの物語が共有されていないこと”
今回の不満は、生の貝が出たことだけではない。
本質は、15年前にカツノに命を助けられて以来の常連である自分たちが、
初めて来た客のように扱われたこと
にある。
前田夫妻にとって加賀美屋は、ただ泊まる宿ではなく、
自分たちの人生の記憶と結びついた場所だったのだと思う。
「来る者、帰るが如し」は、便利な看板であるほど危うい
この言葉は本来、安心感やおもてなしの象徴のはず。
ただ今回のように、それが実態とずれると、
逆に旅館側の理想を客側が武器として使うことになる。
つまりこの標語は、強みであると同時に、
守れなかったときには旅館側を強く縛る言葉
でもある。
前田にも“落ち度ゼロ”とは言い切れない
予約時にも、到着時にも、違和感を伝えるタイミングはあった。
それでも前田は、かなり後になるまで明確には言わない。
ここには、常連客特有の
「言わなくても分かってもらえるはず」という甘え
が含まれているように見える。
旅館側のミスもあるだろうが、客側にも
“察してもらうことを前提にしすぎている”面はあると思う。
環の対応は見事だが、それ自体が“常連優遇の強さ”も示している
料理、仲居、部屋を一気に変更する環の対応はさすが。
ただ、それが即座に通るということは、
加賀美屋には常連客の不満を最優先で飲み込む文化がある、
ということでもある。
これはおもてなしの強さでもあるが、同時に
客の要望が強くなりすぎると、現場が断れなくなる危うさ
も示している。
担当仲居の変更は、佳奈にとってかなりきつい
今回の問題の本質は顧客情報の取り違えであって、
佳奈の接客態度そのものが主因ではない。
それでも結果として清美に交代になる。
これは佳奈からすると、
自分自身が“不適格”と判断されたように感じやすい
処置だと思う。
常連対応が属人的であるほど、若手には重い制度になる。
データベースの問題は“記録の有無”ではなく“運用の設計不足”
同姓同名に近い顧客が並んでいる。
境目を見落としやすい。
これは仕組みとして十分起こりうる。
だから今回の問題は、入力した情報が悪いというより、
使う側が間違えやすい状態のまま現場投入されていたこと
にある。
次ページ確認や確認必須アラートのようなルールがあれば、
かなり防げたはずだ。
記憶だけでも危ないし、データだけでも危ない
環の記憶に頼れば、常連の前田啓介には強い。
でも一度しか来ていない前田啓輔のような客には弱い。
逆にデータベースは一回客にも対応できるが、
今回のように似た名前や関係性の厚みまでは取り扱いきれない。
つまり今回見えたのは、
記憶だけでも不十分、データだけでも不十分
ということだと思う。
本来必要なのは、その両方をつなぐ運用なのだろう。
この場面は“誰が悪いか”より、“常連対応そのものの危うさ”を浮かび上がらせている
夏美の誤認、前田の遠回しな不満、環の全面修正、清美への交代。
全部を通して見えてくるのは、
加賀美屋の常連対応がかなり属人的で、特別扱いを前提にしていることだ。
それがうまく回っているときは強みになる。
でも一度ずれた瞬間、
若手の仲居や新しい仕組みにしわ寄せが集中する構造
にもなる。
今回の騒動は、その危うさがかなりはっきり出た場面だった。
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環が語る大女将の記憶――前田夫妻を救った“来る者、帰るが如し”の重み
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帳場では久則が夏美を心配しており、伸一と柾樹も不安そうな表情を見せている。
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柾樹は廊下で環と話し込み、環は悪いのは夏美だけではなく、何の手も打たなかった自分の責任でもあると話す。
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環は、大女将ならこんな時に何と言っただろうかと気にしている。
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夏美は、環が待つカツノの部屋へやって来る。
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環はまず、前田夫妻の様子を夏美に確認する。
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夏美は、清美がつき、部屋も変わり、食事も召し上がったと説明し、環は安堵する。
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夏美は、顧客名簿をきちんと確認しなかった自分のミスだと認める。
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さらに、ごひいきのお客様については環に確認するよう言われていたのに、それができなかったことを詫びる。
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そこで環は、15年前に前田夫妻が初めて加賀美屋に泊まりに来た時のことを語り始める。
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前田夫妻は、事業に失敗し、岩手に死に場所を探しに来ていた。
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しかし妻が、最後におもてなしで有名な加賀美屋に泊まってみたいと望んだため、加賀美屋を訪れた。
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大女将が話を聞いたことで、前田夫妻は思いとどまって帰っていった。
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そして翌年も約束どおり加賀美屋を訪れ、あの時の大女将の言葉は一生大事にすると語った。
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環は、「来る者、帰るが如し」とは、大女将が何もかも見抜いたうえで言っていた言葉なのだろうと話す。
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夏美は、自分がしたことは大女将の心をむげにしたのと同じだと責任を痛感する。
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環は、夏美が大女将を失って悲しんでいるのは分かるが、悲しいのは夏美だけではなく、みんな同じだと言う。
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そのうえで、それを乗り越えなくてどうするのかと夏美に問いかける。
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さらに今回のことは、夏美の弱い心の隙間をついて、起こるべくして起こったことだと告げる。
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環は、心からのおもてなしをし、お客様に笑顔になってもらいたいと思っているのに、悲しんでばかりいてどうするのかと夏美を叱咤する。
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そして、今の夏美の姿を見て大女将が喜ぶと思っているのか、大女将の遺志を継いで若女将になったのだと伝え、その場を去っていく。
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個人的感想
久則は自分の母親が亡くなり、その死に目にも会えなかったというのに、それでも夏美が立ち直れていない現状を心配している。無理して作っている笑顔を見ていると胸が痛むというが、実の息子である久則や孫の柾樹がある程度立ち直っているように見える中で、夏美だけがここまで引きずっているのは、やはり大女将が夏美にとって優しく甘やかしてくれる最大の後ろ盾だったからなのだろう。あの喪失感は、そう簡単には埋まらないのだと思う。
柾樹が環に、夏美が迷惑をかけたことを謝っていたが、環はこういうことが起こると分かっていながら放置していた自分にも責任があると言っていた。そこはたしかにその通りだと思う。通常の仕事ができない状態なら何らかのフォローが必要だろうし、それをしなかったのは管理する側の問題でもある。と、そこまでは言いたいのだが、夏美はもう単なる仲居ではなく若女将という経営側の立場なんだよなと思うと、単純に従業員の不調対応の話にもできないのがややこしい。俊江も女将になって過労で死んでいたし、若女将や女将という立場は少々の不調では休むことも許されない世界なんだろうなとも感じる。
前田は担当が清美に変わり、部屋も変わり、食事も結局ちゃんと食べている。こうなってくると、やはりだいぶわがままな客に見えてしまう。夏美は夏美で、顧客名簿を確認せず、環にも確認しなかった自分の責任だと言っているし、環も自分が手を打たなかった責任だと言う。この件、みんながそれぞれ自分の責任だと言っているが、誰か一人だけの責任にするのはやはり難しいと思う。防げたような気もするし、誰がやってもある程度は起こり得たミスのようにも見える。こうなると大事なのは、もう責任の押しつけ合いではなく、二度と同じことが起きないように再発防止策を徹底することだろう。
環が前田夫妻の15年前の話を語る場面は印象的だった。たしかに、事業に失敗して死に場所を探しに来ていたとか、最後に加賀美屋に泊まってみたかったとか、そういう話はデータベースには書き込みにくい。前回、自分は「データベースに載せられない情報」と聞いて勝手に不倫みたいなものまで疑ってしまったが、そういう話ではなかった。何にせよ、これは共有や拡散に向く情報ではないだろうし、知っているのはカツノ、環、担当だった清美くらいなのかもしれない。下手をすると時江すら知らなかった可能性もある。そう考えると、担当仲居が清美という設定なのも上手い。康子や則子や恵だったら、ついぺらぺらしゃべってしまいそうだなと思ってしまうが、清美だと何となく信用できそうに見える。
15年前に事業に失敗して死に場所を探していたという設定もよくできている。2006年から15年前だと1991年で、ちょうどバブル崩壊が始まる頃だ。前田のあの偉そうな雰囲気を見ていると、たしかに自分は特別だと思い込み、うまい話に飛びついて痛い目を見たとしても不思議ではない。最後の贅沢として加賀美屋に泊まりたかった、という流れも妙に生々しい。宿泊料をちゃんと払ったのかまで少し気になってしまったが、そこまで落ちぶれていたわけではなさそうだ。
それにしても、大女将は宿泊客の様子がおかしいと思ったら、ただ接客するだけではなく、カウンセラーのように話を聞き、気持ちを立て直すところまでしていたことになる。女将業に求められるスキルの幅広さに驚く。逆に言えば、夕食後に女将がわざわざ様子を見に来るのは、「このお客様は危ない」と見抜かれた可能性があるのかもしれないなと怖くもなった。
何はともあれ、大女将の傾聴によって前田夫妻が命拾いしたのは間違いない。だからこそ余計に思うのだが、そこまで加賀美屋と大女将に恩があるのなら、今回の夏美や佳奈の失敗はそこまで大事にせず、後で環にこっそり伝えるくらいで済ませてもよかったのではないか。話を聞けば聞くほど、前田はやはり自分のことが一番かわいい人間に見えてしまう。
夏美は、自分がしたことは大女将の心をむげにしたのと同じだと思い詰めてしまった。ただでさえ人一倍悲しみに打ちひしがれて苦しんでいるのに、そこにさらに自分を責める材料まで重なったら、自己肯定感なんてどんどん削られていくだろう。環は、大女将を失って悲しいのはみんな同じだと言っていた。本当に同じかと言われると少し疑問も残るが、少なくとも夏美が他の人よりも業務に支障が出るほど苦しんでいるのは確かだと思う。こういうものは時間が解決してくれることもあるから、危ない失敗を起こさないよう見ながら待つしかない面もあるのかもしれない。
そして最後に気になるのが、環の「今回のことは夏美の弱い心の隙間をついて、起こるべくして起こったことだ」という言い方だ。ここは少しどうなのかなと思う。今回のミスは人的な要素ももちろんあるが、柾樹が作ったシステムの使いにくさや、運用方法の未整備によるところもかなり大きいはずだ。さらに、悲しみに打ちひしがれている夏美に、若女将の仕事として今までやったことのない予約管理を任せたのは環自身でもある。しかもそれは、環が慣れ親しんだアナログのやり方ではなく、まだ環自身も本当に使いこなせているのか怪しいシステムだった。ここまで考えると、夏美の心に隙間があろうとなかろうと、今回のような事故はある程度起こり得たのではないか。だから「弱い心の隙間」という言い方だけで片づけるのは、少し違うように感じた。
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環は責任者としての自覚と、大女将の後継者としての自覚の両方で話している
環は、夏美だけが悪いのではなく、自分にも責任があると言う。
ここでは単に夏美を叱る側ではなく、
管理する立場として自分の見立ての甘さも認めている
のが大きい。
そのうえで、大女将ならどう言ったかを考えている。
つまり環はこの場面で、
責任者としても、カツノの意思を引き継ぐ者としても動いている。
前田夫妻の15年前の話は、“常連客”ではなく“命をつなぎとめた相手”だったことを示している
今回の重さは、宿泊回数の多さだけではない。
事業に失敗し、死に場所を探していた夫婦が、
最後に加賀美屋に泊まり、カツノの言葉で思いとどまった。
この経緯がある以上、前田夫妻にとって加賀美屋は
人生の節目を救ってくれた場所
になっている。
だから今回の失敗は、常連対応のミス以上に重くなる。
「来る者、帰るが如し」は、単なる接客標語ではなく“見抜く力”の言葉だった
環は、大女将は何もかも見抜いてその言葉を口にしていたのだろうと言う。
つまり「来る者、帰るが如し」とは、
誰にでも同じように優しくするという意味だけではなく、
相手の事情や心の傷まで察した上で、帰る場所を作ること
だったのだと思う。
この場面で初めて、この言葉の重みがかなり具体的になる。
今回のミスは“個人の不注意”と“仕組みの未整備”が重なって起きている
夏美は確認不足だった。
でもそれだけではない。
同音異字で紛らわしい顧客情報、慣れていない予約管理、
導入直後で使い方がこなれていないシステム。
そうした条件が重なっている。
だから今回の件は、
夏美のミスではあるが、夏美だけのミスではない
という見方が自然だと思う。
環の「弱い心の隙間」は、半分当たりで半分ずれている
環が言いたいのは、悲しみに引きずられて集中力や注意力が落ちていた、ということだろう。
その意味ではたしかに夏美の精神状態は無関係ではない。
ただ一方で、
今回の事故はシステムと運用の問題もかなり大きい。
だから全部を
“悲しみで心が弱っていたから起きた”
に回収してしまうと、少し雑になる。
環の言葉は叱咤としては機能するが、原因分析としては十分ではない。
女将という立場には、“休んで立て直す”が許されにくい厳しさがある
従業員なら、不調なら外す、軽くする、休ませるという発想も出てくる。
でも若女将は、そう簡単に持ち場を離れられない。
加賀美屋の看板の一部だからだ。
ここには、家業の中で女将が背負わされる
休みにくさ、弱音を吐きにくさ、代えの利かなさ
がよく出ている。
今回の夏美は、まさにそこにぶつかっている。
カツノの不在で失われたのは“記憶”だけではなく、“人を見る力”でもある
今回、データベースに載せにくい情報が問題になった。
でももっと大きいのは、
カツノが持っていた
相手の様子から事情を察し、必要な言葉を選ぶ力
そのものが失われていることだと思う。
データで埋められないのは過去の逸話だけではない。
人を見る目と、その場で判断する力もまた、簡単には継承できない。
この場面は、夏美を責める場面である以上に、“若女将になる”とは何かを突きつける場面
環は最後に、今の夏美の姿を見て大女将が喜ぶのかと言い、
大女将の遺志を継いで若女将になったのだと告げる。
これは慰めではなく、かなり厳しい継承宣言だ。
つまりこの場面は、
「失敗した若女将を叱る場面」ではなく、
若女将であるなら、悲しみを抱えたままでも立つしかないと突きつける場面
として読むとかなり重い。
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平治の風鈴が夏美を呼び戻す――悲しみの底に差し込む“懐かしさ”の音
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夏美はカツノとの思い出を振り返っている。
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そのとき、外から風鈴の音が聞こえてくる。
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平治(長門裕之)が、南部鉄器で作った風鈴を持って庭に現れる。
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平治は「いい音だべ?」と夏美に聞く。
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ナレーションは、その音色が夏美の心に、なぜか懐かしい気持ちを思い出させたと語る。
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その余韻を残して、その日の放送は終わる。
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個人的感想
夏美はカツノとの思い出を振り返っているが、出てくる記憶はどれもカツノに優しく背中を押してもらったものばかりだ。嫌な思いをさせられたことが一度もなく、どんな時でも夏美を座敷童のように受け入れてくれた、最大最強最高の後ろ盾だったのだと思う。だからこそ、カツノに嫌な思いをさせられてきた人たちよりも、夏美の喪失感ははるかに大きいのだろう。
それにしても平治は本当にいつも庭から入ってくる。ここまで来ると、カツノから裏口の合鍵でも渡されているんじゃないかと疑いたくなるくらいで、玄関から入ってくる姿がまったく想像できない。
南部鉄器で作った風鈴の音は、たしかにいい音だった。ただ、夏美がその音を聞いて、なぜ懐かしい気持ちになったのかは正直まだよく分からない。普通に考えれば、昔から聞いていた音だからということなのかもしれないが、このドラマだと少し不思議な意味も持たせてきそうで、座敷童の話がどこかで関係しているのかなとも思ってしまった。
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これは“慰めの言葉”ではなく、“音で夏美を動かす場面”
平治は長々と励ましたり説教したりしない。
ただ風鈴を持ってきて、「いい音だべ?」とだけ言う。
つまりここでは、言葉で悲しみを処理するのではなく、
音そのもので夏美の心を揺らそうとしている
のが大きい。
平治らしい、不器用だけれど職人らしい働きかけ方だと思う。
風鈴は“新しい作品”であると同時に、夏美への返事でもある
前回まで平治は、今までとは違うものを作りたくなったと言っていた。
その答えがこの風鈴なのだろう。
つまりこれは単なる新作ではなく、
落ち込んでいる夏美に向けて作られたもの
として見るとかなり意味がある。
平治は言葉で支えるのが得意ではない。
だからこそ、物を作って返してきたのだと思う。
“懐かしい”という感覚が重要
ナレーションは、夏美が悲しいとか癒やされたではなく、
「懐かしい気持ちを思い出した」と言う。
ここがかなり大事だと思う。
悲しみの中にいる夏美を、
いきなり元気づけるのではなく、
もっと深いところにある安心感や原風景の記憶へ戻そうとしている
感じがある。
この“懐かしさ”は、回復の入口として描かれているのかもしれない。
風鈴の音は、カツノの不在を埋めるというより“つなぎ直す”音に見える
カツノの代わりになるものはない。
でもこの風鈴の音は、
カツノがいた時間、加賀美屋の空気、夏美が守られていた感覚を
少しだけ呼び戻しているように見える。
つまりこれは、喪失を消す音ではなく、
失われたものとのつながりを別の形で感じさせる音
なのだと思う。
平治はいつも“庭から来る人”として描かれている
玄関から正式に入ってくるのではなく、
庭からふっと現れる。
この動きはずっと独特で、
平治が加賀美屋の外の人でありながら、
どこか内側にも入り込んでいる存在だと感じさせる。
家族でも使用人でもない。
でも完全な他人でもない。
今回もその立ち位置がよく出ていて、
平治だけが持つ、加賀美屋との特別な距離感
が風鈴の登場の仕方にも出ている。
夏美にとってカツノは“思い出す相手”というより、“自分を支えていた土台”だった
夏美がここまで揺れているのは、
単に大好きな人が亡くなったからだけではないと思う。
カツノは、夏美をいつも肯定し、背中を押し、受け入れてくれた。
つまり夏美にとっては、
自分がここにいていいと思わせてくれる土台そのもの
だった。
だから喪失感が深いし、
その穴は簡単には埋まらない。
このラストは“悲しみの継続”ではなく、“回復のきっかけ”を置く終わり方
前半はかなり重かった。
失敗、叱責、責任、継承。
でも最後に風鈴の音を置くことで、
この回は絶望のまま終わっていない。
まだ立ち直ったわけではない。
ただ少なくとも、
夏美の心が別の方向へ動き出す小さなきっかけ
は示された。
その意味で、このラストはかなり救いのある締め方だった。
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まとめ
今回の第131回は、前田夫妻への対応ミスを通して、大女将・カツノが加賀美屋で果たしていた役割の大きさを改めて突きつけてくる回だったと思う。前田夫妻にとって加賀美屋は、ただの宿ではなく、15年前に人生の底で救われた場所だった。だからこそ今回の失敗は、料理や部屋の取り違え以上に、「自分たちのことを分かってくれているはずの場所に分かってもらえなかった」という失望として響いたのだろう。
ただ一方で、自分はやはり今回の件を夏美一人の責任として片づけるのには抵抗がある。たしかに夏美には確認不足があった。けれど、同音異字の紛らわしい顧客情報、導入されたばかりでまだ運用が固まっていないデータベース、悲しみの中にいる夏美に新しい予約管理業務を任せた体制など、事故につながる要素はかなり重なっていた。防げたようにも見えるし、誰がやってもある程度起こり得たミスだったようにも見える。だから本当に大事なのは、誰を一番悪いことにするかではなく、同じことを二度と起こさないためにどう変えるかだと思う。
そんな重たい回のラストで、平治が風鈴を持って現れたのは救いだった。環は優しく夏美を叱り、大女将の遺志を継いだ若女将として立てと迫った。一方の平治は、言葉ではなく音で夏美の心に働きかける。叱って前に進ませる人と、黙って感覚のほうから支える人。その両方があってようやく、夏美は少しずつ立ち直っていくのかもしれない。第131回は、失敗の痛みを描きながらも、その先にある再生の入口を静かに置いて終わった回だった。
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