朝ドラ再放送『どんど晴れ』第108回感想(ネタバレ)──22年の確執の終わりと、風が残したもの

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どんど晴れ

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2026年2月20日放送『どんど晴れ』第108回。

22年ぶりに再会した父と子。

謝罪と涙、そして「父さん」という一言で長い確執は溶けていった。

一方で、遠野の夜に現れた不思議な少年・三郎の存在は、写真にも写らず、誰の記憶にも残らないまま消えていく。

それでも――

庭に転がる一つの“くるみ”だけが、夢とも現実ともつかない余韻を残した。

第108回は、親子の和解と幻想の境界線を静かに描いた回だった。

※この回は、前日の展開を踏まえて見ると、より重みが増します。

👇 前回(第107回)の感想はこちら

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父と子、22年の涙の和解

  • 政良(奥田瑛二)と柾樹(内田朝陽)が親子であることが明らかになる。

  • 気を利かせたアキ(鈴木蘭々)は、夏美(比嘉愛未)を残して一人で取材に出かける。

  • 政良は柾樹に頭を下げ、謝罪を続ける。

  • しかし柾樹は「許せない」と拒絶する。

  • 柾樹は、母・俊江(中江有里)が亡くなったのは政良が家を出て行ったせいだと責める。

  • 紀美子(あめくみちこ)は、政良が里親になった理由が柾樹への償いであることを明かす。

  • さらに、政良は一度柾樹を引き取りに盛岡へ行ったが、カツノ(草笛光子)に許してもらえなかったと伝える。

  • 夏美は、政良が描いた少年の絵を柾樹に見せる。

  • 夏美は二人の気持ちを代弁する。

  • 柾樹は涙を流し、絵の上に涙をこぼす。


個人的感想

まずアキ。

遠野の記事は夏美の担当なのに、

一人で取材に出て行って何の役に立つのだろうかと少し思ってしまった。

写真を撮るのだろうか。

それとも場を空けるための配慮か。

本題は父子対面。

政良は謝り続ける。

でも、

なぜ出て行ったのかを説明しない。

ここが引っかかった。

謝罪だけでは足りない。

柾樹が求めているのは、

「ごめん」ではなく

「なぜ」だ。

理由が分からないまま謝られても、

受け入れられないのは当然だと思う。

この親子は似ている。

どちらも口下手。

どちらも感情を言葉にするのが得意ではない。

もし自分が政良なら、

「言い訳に聞こえるかもしれないが」と前置きしてでも事情を説明したと思う。

だが政良はしない。

言い訳を潔しとしない性格なのか、

あるいは言葉が出てこないのか。

その結果、

夏美と紀美子が代弁する形になる。

正直、

他人が親子の気持ちを代弁する構図には違和感もある。

でも代弁があったからこそ、

  • 政良が迎えに行った事実

  • 里親になった理由

  • 絵を描き想い続けていた事実

が明らかになった。

柾樹が父を許せないのは、

母の死だけじゃない。

「捨てられた」と思ってきた孤独。

本当は、

迎えに来てほしかった。

会いたかった。

でもそれを言えなかった。

夏美がそれを言語化する。

これは賛否が分かれる。

勝手に気持ちを代弁して気持ち悪いと感じる人もいるだろう。

でも、

もし夏美がいなかったら。

この親子は一生すれ違ったままだったかもしれない。

政良は謝罪を抱えたまま死に、

柾樹は憎しみを抱えたまま生きる。

夏美は、

重たい荷物を少し軽くした。

その役割は否定できない。


◆ 「謝罪」と「説明」の違い

政良は謝った。

だが説明しない。

謝罪は感情の表明。

説明は事実の共有。

柾樹が欲しかったのは、

自分が捨てられた理由の説明。

ここが父の弱さ。

だが同時に、

言い訳しないという美学でもある。


◆ 里親という償い

政良は、

  • 柾樹を育てられなかった

  • 迎えに行ったが拒まれた

その後、里親になった。

これは贖罪。

他の子供を救うことで、

失った息子への償いをしてきた。

だがそれは、

柾樹に直接届かない。

だから22年かかった。


◆ 絵の意味

絵は、

言葉にできなかった想いの形。

遠くから見えた少年。

迎えに行けなかった父。

絵は22年間の沈黙。

柾樹が泣いたのは、

謝罪の言葉ではなく、

絵が真実だったから。


◆ 夏美の役割の是非

夏美は代弁者。

  • 気持ちを言語化する

  • 感情の橋渡しをする

これは危うい。

だが今回は、

必要な外部介入だった。

閉じた親子では突破できなかった。

どんど晴れ的座敷童とは、

福を呼ぶ存在ではなく、

“停滞を壊す存在”。


軽くなった心と、裕二郎の言葉の意味

  • 政良は少年の絵について説明する。

  • その絵は9歳の頃の柾樹で、学校の近くまで会いに行ったが、声をかけることができず、遠くから見るだけだったと明かす。

  • 政良は改めて頭を下げ、「こんな父親で申し訳ない」と謝罪する。

  • 涙を流す政良に対し、柾樹が泣きながら「父さん」と呼びかける。

  • 政良が「“父さん”と呼んでくれるのか?」と問い、柾樹が頷く。

  • 二人は頭を寄せ合い、泣きながら何度も「父さん」と呼びかける。

  • その様子を見た夏美と紀美子は安堵の表情を浮かべる。


個人的感想

まず時系列を整理したくなった。

  • 政良が家を出たのは22年前(柾樹5歳)

  • 9歳の柾樹を学校近くで見守っている

  • 盛岡に迎えに行ったことがある

  • 里親を始めたのは約10年前(柾樹17歳前後)

つまり、

すぐに里親を始めたわけではない。

盛岡に迎えに行ったのはおそらく5歳から9歳までの間

そして里親を始めるまでに、9歳から17歳の、

少なくとも8年の空白がある。

この8年間に何があったのか。

迎えに行ったのは一度だけと言っていたが、

本当に一度だけだったのか。

もしかしたら他にも動いたが、

カツノに拒まれた可能性もある。

この8年の間に様々な葛藤があり里親を始めたのかもしれない。

22年の確執があるなら、

もう少し丁寧に和解を描いてほしかったという気持ちは正直ある。

自分も、もう少し葛藤が見たかった。

だが逆に考える。

どういう場合なら、

22年の確執でも一瞬で溶けるか。

柾樹は「父はいない」と言っていた。

でもそれは、

憎しみだけではなく、

寂しさと裏返しだったのではないか。

  • 捨てられたと思っていた

  • 会いたかった

  • 迎えに来てほしかった

その気持ちが憎しみと同じくらい大きかったなら、

・迎えに来ようとしていた事実

・ずっと絵を飾り思い続けてくれた事実

これが分かった瞬間、

満たされる。

満たされたら、

憎む理由が消える。

そう考えると一日和解も不自然ではないかもしれない。好意的に解釈しすぎか。

ただ――

なぜ政良は出て行ったのか。

ここが未説明。

作中は現在2006年のはず、その22年前

1984年。

バブル前夜。

曲がったことが嫌いで争いを好まない男。

誰と何で衝突したのか。

逃げたのか。

守るためだったのか。

理由がないまま和解すると、

どうしてもそこが引っかかる。


◆ 和解が早かった理由

今回の和解は、

謝罪で解けたのではない。

“事実”が解いた。

  • 迎えに行った

  • 絵を描いていた

  • 忘れていなかった

柾樹が欲しかったのは、

謝罪よりも、

「愛されていた証拠」

だった。

絵はその証拠。


◆ 8年間の空白の意味

9歳から17歳までの期間。

ここはまだ描かれていない。

  • 何度も迎えに行ったのか

  • 本当に一度だけなのか

  • カツノとの対立はどこまで深かったのか

この空白が、

今後のドラマの伏線になる可能性は高い。


◆ 頭を寄せ合う演出の意味

言葉ではなく、身体。

頭と頭をくっつける。

これは、

対立の終わり。

上下関係ではなく、

水平関係。

父と息子の再構築。


◆ 本当の核心はまだ語られていない

最大の謎は、

政良がなぜ出て行ったのか。

  • 経営方針の衝突?

  • カツノとの確執?

  • 俊江を守るため?

  • 自身の理想との葛藤?

ここが明かされなければ、

物語は完全には終わらない。

今回の和解は、

感情の和解。

だが、

原因の和解はまだ。


三郎の正体と、幻想を信じる親子・くるみは夢か、現実か

  • 夜、夏美と柾樹が静かに話し合う。

  • 柾樹は裕二郎(吹越満)の言葉の意味が分かったと語る。

  • 父と深く話したわけではないが、気持ちは軽くなったと夏美に伝える。

  • 夏美は昨夜出会った“不思議な少年”の話を柾樹に打ち明ける。

  • 柾樹はその話を否定せず、静かに聞く。

  • 柾樹は夏美に「本当の気持ちに気づかせてくれてありがとう」と感謝する。

  • 夜の庭に出た二人。強風が吹き、夏美は一瞬、柾樹が三郎に見える。

  • 夏美は思わず柾樹を後ろから抱きしめる。

  • 足元に転がっていたくるみを見つける。

  • ナレーションで「あの男の子は本当に風の又三郎だったのかもしれない」と語られ、物語は締めくくられる。


個人的感想

柾樹もまた、信じる人だった。

普通なら、

  • 見知らぬ少年が来た

  • 誰も存在を知らない

  • 写真にも写っていない

そんな話は信じない。

でも柾樹は否定しない。

政良も否定しなかった。

ここも親子なのか。

合理だけではない血が流れている。

そして裕二郎の言葉。

個人的には、

「自分の子供を大事に思わない親はいない」

よりも、

「生きてる内に会いに行け」

の方が重い。

前者は絶対ではない。

後者は事実だ。

死んでしまえば会話はできない。

だから行けるうちに行く。

そこに異論はない。

そして、くるみ。

出た。

でもポケットからではない。

地面から。

これは本当に絶妙。

もしポケットから出てきたら現実確定。

出てこなければ夢確定。

しかし地面に転がっていた。

夢とも現実とも言い切れない。

視聴者に委ねた。

いろいろ考えた。

でも自分はこう思う。

夢であってほしい。

理由は単純。

もし現実だったら、

三郎がくれたくるみを

夏美は地面に落としたことになる。

それは嫌だ。

孤独な少年がくれた大事なものを、

そのまま捨てたように見えてしまう。

だからあれは、

  • 三郎は来ていない

  • くるみは偶然転がっていた

そう思うことにした。

その方が三郎が救われる。

その方が夏美も嫌な人にならない。


◆ 信じる親子

政良も柾樹も、

夏美の話を否定しない。

これは血筋なのか、

遠野の空気なのか。

合理と幻想の中間に立てる人間。

それがこの親子の共通点かもしれない。


◆ 「生きてる内に会え」の回収

柾樹は父と深い対話をしたわけではない。

それでも軽くなった。

これは、

“会ったこと”自体が救いになった。

会話の内容よりも、

存在の確認。

裕二郎の言葉はここで回収された。


◆ くるみの意味

くるみは境界線。

  • ポケットなら現実

  • 無ければ夢

  • 地面なら曖昧

この曖昧さこそ遠野。

視聴者の解釈に委ねる。

「夢であってほしい」と思ったのは、

三郎を守りたいから。

それは優しさだ。


◆ 三郎の役割

三郎は、

  • 孤独の象徴

  • 待つ子供の象徴

  • 柾樹の内面の具現化

父子が和解した今、

役目は終わった。

だから曖昧な形で消えた。


まとめ

第108回は、憎しみの終わりと、幻想の余韻を同時に描いた回だった。

父と子は向き合い、

言葉にできなかった22年分の想いが涙となって流れた。

そして風と共に現れ、風と共に消えた少年。

三郎は本当に存在したのか。

くるみは証拠なのか偶然なのか。

答えは明かされない。

だからこそ、この物語は美しい。

遠野編はここで一区切り。

しかし、父と子の物語はこれからだ。

『どんど晴れ』感想まとめはこちら

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