朝ドラ再放送『どんど晴れ』第106回感想(ネタバレ)──「生きてるうちに会え」父を拒む柾樹と風の少年・三郎

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どんど晴れ

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2026年2月19日放送『どんど晴れ』第106回。

遠野の夜に現れた謎の少年・三郎。

その姿は、政良の描いた絵の少年と重なり、どこか“風の又三郎”を思わせる存在だった。

一方、イーハトーブでは柾樹が父親への思いを語る。

「今さら会いたくもない」と言い切る彼に、裕二郎は自らの後悔を重ねる。

幻想と現実。

孤独な少年と、父に会えなかった男。

第106回は、“父と子”というテーマを真正面から描いた回だった。

※この回は、前日の展開を踏まえて見ると、より重みが増します。

👇 前回(第105回)の感想はこちら

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風の夜に現れた少年・高田三郎

  • まぶりっと(沼田爆)に連れられてきた少年(深澤嵐)は「ここに来るはずだったが迷子になっていた」と説明され、政良(奥田瑛二)も知っているはずだと言われる。夏美(比嘉愛未)はその言葉を疑うことなく受け入れる。

  • 少年は「高田三郎」と名乗る。

  • 同じ頃、柾樹(内田朝陽)はイーハトーブを訪れ、家に居づらい事情を裕二郎(吹越満)に打ち明ける。

  • 聡(渡邉邦門)は柾樹の経営改革について「誰かがやらなければならないことだ」と理解を示し、応援する姿勢を伝える。


個人的感想

正直に言うと、今回いちばん引っかかったのは夏美の判断力だ。

夜遅くに、まぶりっとが連れてきた見知らぬ少年。

「ここに来るはずだった」と言われただけで、政良本人に確認も取らず受け入れてしまう。

これはさすがに怖い。

人を疑わないことは美徳かもしれない。でも状況が状況だ。

夜に一人で迷子になっている子供だぞ?

事件や事故、あるいはもっと別の事情を疑うのが普通ではないのか。

受け入れるにしても、まずは政良に確認したい。

だが政良はみうを仙台に連れて行く連絡を家電で行っていた。携帯を持っていない可能性もあり、連絡手段も描写されてはいない。

それでも、「もしかしたら自分が犯罪に巻き込まれているかもしれない」という発想すらなさそうな夏美の危うさは、やはり気になってしまう。

これは“人を疑わない能力”というより、“極端な世間知らず”に見えてしまう瞬間だ。

そして名前は「高田三郎」。

もうこれは“風の又三郎”そのものだろう。あまりにも分かりやすい。

一方で柾樹。

家に居づらい理由は、自分の独断改革による軋轢。

改革の方向性が正しいかどうかは別として、やり方が雑すぎる。

聡が「誰かがやらなきゃいけないこと」と応援するが、

今の柾樹に必要なのは応援ではない。

必要なのは、

摩擦を減らしながら進めるための“助言”だ。

応援だけでは、

「自分は間違っていない」という確信を強め、暴走を加速させる可能性すらある。

柾樹は今、正義の確信だけで突き進んでいるように見える。

それがいちばん危うい。


◆ 三郎という存在の象徴性

「高田三郎」という名前は明確なメタファーだ。

  • 風の又三郎

  • 風の夜に現れる少年

  • 絵に描かれた男の子に酷似

三郎は現実の少年なのか、それとも象徴的存在なのか。

ここで重要なのは、「風の夜に現れる子ども」というモチーフ。

風=変化

風=外からやってくるもの

風=価値観の揺らぎ

三郎は物語に“風”を運ぶ存在だ。


◆ 夏美の“無防備さ”は能力か欠陥か

夏美は疑わない。

それは

  • 人の心を開かせる力でもあり

  • トラブルを引き寄せる危うさでもある

今回の行動は明らかにリスクがある。

だが物語構造としては、
“常識で止まる人間”では物語は進まない。

夏美は常識を超えて動くから、物語が動く。

これはヒロインとしての機能であり、
同時に視聴者に違和感を抱かせる装置でもある。


◆ 柾樹に欠けているもの

柾樹は孤独だ。

  • 家族と対立

  • 家に居づらい

  • 正論で押し切る

聡の応援は嬉しいだろう。

だが柾樹に今必要なのは、

✔ 批判的な助言

✔ 交渉の技術

✔ 妥協点の模索

改革とは、敵を作ることではない。

味方を増やすことだ。

柾樹は“正しさ”で戦っている。

だが組織は“正しさ”だけでは動かない。

このズレが、今後さらに大きな衝突を生む予感がする。


孤独な少年の才能と、時空の違和感

  • 子供たちはトランプで神経衰弱をしているが、三郎だけが輪に入れずにいる。

  • 夏美が三郎に神経衰弱のやり方を教えると、三郎は驚くほどの能力を発揮し、次々とカードを取り、笑顔を見せる。

  • 子供たちから質問攻めにあった三郎は、

    • 北海道から来た

    • 小学三年生

    • 父が迎えに来るまでここにいるように言われた

      と屈託なく答える。

  • アキは三郎が加わった記念に写真を撮る。

  • アキは「こんな山里に夜一人で来させる親がいるのか」と現実的な疑問を抱くが、夏美は「何か事情があるのよ」と楽観的に受け止め、まぶりっとの言葉を信じて疑わない。


個人的感想

三郎が輪に入れずにいる姿は、裕二郎が語っていた“子供の頃の柾樹”と重なる。

気づけば一人でいる子供。

どこか風のように孤独な存在。

しかも三郎の顔立ちは、政良が描いていた少年の絵に似ている。

ここまで揃うと、もう偶然とは思えない。

もしかしてこの三郎は――

子供の頃の柾樹なのか?

時空を越えてやってきた存在なのか?

神経衰弱を初めてやったはずなのに、異様な強さを見せる。

ただの偶然とは思えない“何か”を感じさせる。

遠野という土地なら、

時空が歪んでもおかしくない気がしてくるから不思議だ。

そして「北海道から来た」「父が迎えに来るまでここにいる」。

なぜ北海道から遠野へ?

なぜ夜に一人で?

政良の家は、行き場のない子供の“最後の砦”のようにも見える。

養育里親的な一時預かりなのだろうか。

でも制度上は人数制限があるはずだ。

あの家にはすでに5人いる。

昔は制限が緩かったのか、それとも誰かが実子なのか。

気になって仕方がない。

そして最大の気がかりは写真だ。

アキが撮った写真に三郎は写っているのか?

もし写っていなかったら?

フィルムカメラなら、現像するまで分からない。

この伏線は絶対に回収される気がする。

それにしても、

アキは常識的な疑問をちゃんと抱いている。

夜に一人で山里に来る小学生。

普通はまず疑う。

でも夏美は一言で片付ける。

「何か事情があるのよ。」

100%信じる。

現実世界ならアキの感覚のほうが普通だ。

夏美を見ていると、やっぱりハラハラする。


◆ 三郎=柾樹の過去説

要素が揃いすぎている。

  • 絵に似ている

  • 孤独な子供

  • 風の夜に現れる

  • 名前が“三郎”

三郎は“風の又三郎”であり、
同時に“子供時代の柾樹”の象徴かもしれない。

もし三郎が柾樹の過去だとすれば、

遠野で起きていることは

「柾樹の心の再生」の物語になる。


◆ 神経衰弱=記憶の暗示

神経衰弱は“記憶のゲーム”。

三郎が強いということは、

  • 過去を忘れていない

  • 忘れられない記憶を持っている

という象徴にも読める。

柾樹もまた、

父との記憶を忘れられずにいる。

このリンクは偶然ではない。


◆ 夏美とアキの対比

ここが重要。

夏美 アキ
信じる 疑う
感覚で動く 現実で考える
物語を動かす 物語を現実に引き戻す

アキがいるから物語が壊れない。

夏美だけなら、世界は危うすぎる。

遠野編はこのバランスで成り立っている。


居場所のなかった柾樹と、父への拒絶・裕二郎の後悔――会えなくなってから気づくもの

  • イーハトーブで柾樹と裕二郎がビールを飲みながら語り合う。

  • 柾樹は子供の頃から加賀美屋の母屋で居場所のなさを感じていたと打ち明ける。

  • 父親については「今さら会いたくもない」「どこにいるかも知らなくていい」と語る。

  • 裕二郎は自分の父親との確執を語る。

    • 入院を知っても意地を張って会いに行かなかった。

    • 父はあっけなく亡くなった。

    • 葬式でも泣けなかった。

    • だが、父の遺品から自分が子供の頃に書いた作文を見つけたとき、初めて涙があふれた。

  • 裕二郎は「自分の子供を大事に思わない親はいない」と語り、
    「生きているうちに会っておけ」と柾樹に助言する。

  • そして、遠野で夏美が“不思議な体験”をするというナレーションで終了。


個人的感想

柾樹が「あのうちで一人になるのは慣れている」と言った瞬間、すべてが繋がった気がした。

子供の頃から、母屋にいても自分の居場所ではないと感じていた。

だから加賀美屋を継ぐ発想がなかった。

横浜に出た。

今、柾樹が暴走気味に見えるのは、

経営の問題というより「家族との距離の問題」なのかもしれない。

横浜ではうまくやれていた。

加賀美屋でだけうまくいかない。

それは能力の問題じゃない。

無意識の距離感の問題だろう。

子供の頃の延長線上で、

「ここは自分の居場所じゃない」

とまだどこかで思っている。

だから相談しない。

だから一人で突っ走る。

だから“敵を作る形”になる。

改革をしているのに、

根底にあるのは「居場所のなさ」かもしれない。

裕二郎のエピソードは重かった。

父に会わず、死なれ、

葬式でも泣けず、

作文を見て初めて泣けた。

意地を張っていただけだったと、

会えなくなってから気づく。

「自分の子供を大事に思わない親はいない」

この言葉はきれいすぎるかもしれない。

現実には例外もある。

でも割合で言えば、

やはり“思っている親”の方が多いだろう。

裕二郎の「生きてる内に会いに行け」は、

父親に限らない。

家族、友達、推し、

いつでも会えると思っている人。

機会は突然奪われる。

そのメッセージは真っ直ぐ刺さった。

そして最後のナレーション。

「夏美が不思議な体験をする」

このドラマのナレーションは大抵、

意味深に振っておいて、

答えはわりとシンプルだ。

三郎は幻なのか。

それとも現実の子供なのか。

深読みしたくなるが、

たぶん答えは分かりやすい方向だろう。


◆ 柾樹の“経営暴走”の本質

今回で見えてきたのは、

柾樹の問題は「改革手法」ではなく

「家族との心理的距離」。

  • 相談しない

  • 根回ししない

  • 一人で決める

これは合理主義というより、

「どうせ理解されない」という前提で動いている。

つまり、

経営改革は表層。

本質は“孤立の延長”。

だから裕二郎の言葉は刺さる。


◆ 父と子の構図の対比

今回の回は明確に構図が重なっている。

裕二郎 柾樹
父と確執 父と断絶
会わなかった 会いたくない
後悔した まだ後悔していない

裕二郎は“未来の柾樹の姿”かもしれない。

今は意地でいられる。

でも会えなくなったらどうなる?

この問いが提示された。


◆ 三郎とのリンク

三郎は、

  • 孤独な少年

  • 父を待っている存在

  • 絵の中の子供に似ている

三郎=“待つ子供”

柾樹=“待っていた子供”

遠野編は完全に

「父と子の物語」に収束している。


◆ 夏美の“不思議な体験”の意味

不思議な体験とは何か。

  1. 三郎が消える

  2. 写真に写らない

  3. 政良との接続が明らかになる

いずれにせよ、

幻想は“現実を動かすための装置”。

遠野は、

  • 幻想の場所

  • 和解の装置

  • 心理の浄化空間

になっている。


まとめ

第106回は、心の地盤が静かに動いた回だった。

柾樹の独断は、経営の問題だけではない。

その奥には、幼少期から抱えてきた孤独と、

父への未整理の感情がある。

三郎という存在は、

“待ち続ける子供”の象徴なのかもしれない。

会えるうちに会う。

言えるうちに言う。

向き合えるうちに向き合う。

遠野の風は、

柾樹の意地を少しずつ揺らし始めている。

次回、幻想と現実はどこで交差するのか。

『どんど晴れ』感想まとめはこちら

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