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2026年2月18日放送『どんど晴れ』第105回。
加賀美屋では、柾樹が旅館組合への寄付金を独断で断ったことで家族内の対立がさらに激化。一方、遠野では夏美とアキが政良の家で子どもたちと過ごす穏やかな時間の中に、どこか切なさを感じていた。
合理と慣習。
改革と孤立。
そして“迎えに来る親”というテーマ。
物語は再び、大きく動き出す――。
※この回は、前日の展開を踏まえて見ると、より重みが増します。
👇 前回(第104回)の感想はこちら

寄付金拒否という爆弾──柾樹の独断と加賀美屋の亀裂
遠野では、語り部のおばあさんの話を聞きに訪れた夏美(比嘉愛未)とアキ(鈴木蘭々)が、昔話の世界に耳を傾けていた。
一方、加賀美屋では大きな揉め事が起きていた。柾樹(内田朝陽)が、旅館組合への寄付金の支払いを独断で断ってきたのだ。
柾樹は「歴代の女将たちも仕方ないと見過ごしてきたが、それにも責任はある」と言い切り、これからの加賀美屋はおかしな慣習を変えていくと宣言。
旅館組合を敵に回すつもりかと激怒する伸一(東幹久)に対し、「伸一さんがやらないから俺がやってるんです」と真っ向から言い返す。
加賀美屋が今やるべきことは、不要な支出を抑えること。そして新しい客をどう集めるかだと、柾樹は熱弁するのだった。
個人的感想
遠野で語り部のおばあさんの穏やかな時間を見せられたと思ったら、すぐさま加賀美屋の経営改革の話へ。緩急がすごい。
そしてまたしても柾樹が独断で動いている。今度は旅館組合への寄付金を勝手に断ってきたという。
久則に「なぜ相談しなかった」と咎められ、「相談しても反対されると思って」と答える柾樹。
その一言に正直、唖然とした。反対されると思うなら、反対を覆せよ。覆すために書籍で勉強し、資料を作ったんだろうよ。
説得のプロセスを経ずに独断に走るのは、覚悟というより自信のなさの裏返しにも見えてしまう。
そもそも環が与えた権限はどこまでだったのか。
第96回でのやり取りを思い出すと、環が柾樹に権限を付与するシーンでは、加賀美屋内部の不正処理のお金について話していて、お互いに具体的な話は一切せず、抽象的な話で、
環は「その策はあるの?」と聞き、一番最初というおかしな日本語かどうかは置いといて、「一番最初に手をつけるべきところは分かっています」と柾樹がいい、「できるの?」と環が確認する。
「一番最初に手をつけるべきところ」いわゆる板場の不正経理の改革だけに権限を与えたんだと思っていた。
しかし今回の様子を見ると、「柾樹がおかしいと思うことを是正する包括的な権限」を持っているかのようだ。
もし環がそこまで委ねたつもりなら話は別だが、板場の問題に限定したつもりだったのだとしたら、このズレは今後大きな火種になりかねない。
寄付金についても議論は難しい。柾樹は「用途が分からない金は払わない」と言う。
一方で伸一は「何か役に立つことに回っているはず」と曖昧に肯定する。環は「世の中は必要なものだけで回っているわけじゃない」と諭す。
たしかに、強制でない寄付なら払わない選択もある。ただ、旅館組合が板前の融通などの互助機能を担っている描写はこれまでにあった。
だとすれば寄付金は単なる“悪習”ではなく、関係維持のコストとも言える。
仮に、組合が手配できる板前が一人しかいない状況で、
A:寄付金を払っていない加賀美屋
B:寄付金を払っている旅館
が同時にヘルプを求めたら、どちらを優先するのか。組合が寄付実績を判断材料にしても不思議ではない。
さらに、手配できる板前が二人いる場合でも、
A:寄付金未払いで二人希望
B:寄付金支払済みで二人希望
という状況なら、AとBに一人ずつ手配してくれるのか、組合が寄付金を支払っているBを優先し二人ともBに回す可能性もゼロではない。
合理だけで切り捨てると、将来のセーフティネットも一緒に失うリスクがある。その覚悟まで含めての決断なのかどうかが気になる。
寄付金が“保険料”的な役割を果たしている可能性は十分ある。加賀美屋くらいの老舗でも組合の実態は分からないものなのだろうか…。おそらく組合の成立より加賀美屋の方が古いんじゃないの…。
そしてもう一つ。
寄付金を「悪しき慣習」と切るなら、加賀美屋側の“慣習”も見直すべき必要性が出てくるのではないか。
たとえば仲居が「心付け」をもらってるとしたらそれはどうするつもりか。
労働の対価として賃金を払っている以上、本来は不要な金銭だ。それでも客側の善意で「払う必要のないお金」を支払っている。
もし払う必要のない寄付は断るが、払う必要のない心付けでも払ってくれるものは容認するというなら、それはダブルスタンダードと見られても仕方がない。
それとも、心付けをもらう際は使途をお客様に説明してからもらうようにとでも指導するのだろうか。
改革は一貫性がなければ説得力を失う。
「伸一さんがやらないから俺がやっている」
この言葉も重い。伸一が“必要だと思いながらやらなかった”のか、“必要がないと判断してやらなかった”のかで意味は大きく違う。伸一は後者だろう。つまりこれは能力の問題ではなく、価値観の違いだ。
柾樹も伸一も、本気で加賀美屋の未来を考えているのは間違いない。ただ、見ている景色があまりにも違う。
そのズレが、いま確実に軋みを生んでいる。
寄付金問題は「悪習」か「互助装置」か
柾樹の主張は一見まっとうだ。
✔ 使い道が不明な金は払わない
✔ 不要な支出は削減する
✔ 経営刷新には透明性が必要
これは経営者として理屈は通っている。
しかし、旅館組合が単なる“集金装置”ではなく、
板前の融通や情報共有などの互助機能を持っているとするなら、
寄付金は「必要のない金」ではなく、
関係性維持コスト
とも言える。
組織というのは合理だけでは回らない。
環の言う
世の中は必要なものだけで回っているわけじゃない
という言葉は、
合理では説明できない“緩衝材”の存在を示している。
柾樹はそれを削ぎ落とそうとしている。
問題は――
削ぎ落とした後、自力で全部背負う覚悟があるのかどうか。
権限の範囲はどこまでか
環が与えた権限は、
・板場の不正追及
・経理の透明化
だったと勝手に思っていた。
しかし今回の描写を見ると、
柾樹は「おかしいと思うもの全て」に手を出している。
これは
✔ 権限拡張の自己解釈
✔ もしくは環の本気の委任
どちらなのか。
もし前者なら独善。
もし後者なら、加賀美屋は完全に世代交代モードに入っている。
伸一が置いていかれている構図もここにある。
ダブルスタンダード問題
寄付金は悪習だと言うなら、
旅館文化に根付く「心付け」もまた
構造的に曖昧な金のやり取りだ。
もし
✔ 組合寄付は断る
✔ しかし心付けは容認する
なら、
「合理」は都合よく選別された合理になる。
改革の説得力は一貫性にある。
ここが今後描かれるかどうかは注目点だ。
伸一は“やらなかった”のか“やる必要がなかった”のか
ここは非常に重要。
柾樹は
伸一さんがやらないから俺がやっている
と言った。
だが伸一は、
「必要だと思っていなかった」可能性が高い。
つまりこれは能力差ではなく、
価値観の差
だ。
合理 vs 関係性維持
未来志向 vs 現実安定
どちらも経営には必要だ。
だからこそ衝突は避けられない。
理解と反発のはざまで──環・伸一・カツノの思惑
柾樹の旅館組合寄付金拒否をめぐり、加賀美屋内部の温度差がさらに広がる。
久則(鈴木正幸)と時江(あき竹城)は、柾樹のやり方に明確な不満を示す。しかし環(宮本信子)は、板長・篠田の不正を追及したときの柾樹の覚悟を思い出し、今回の件も加賀美屋を思っての行動だと理解を示す。柾樹は本気でやり遂げようとしているのだ、と。
一方、伸一は恵美子(雛形あきこ)に愚痴をこぼす。だが恵美子は、柾樹の主張も間違ってはいないのだから、対立するのではなく一緒にやっていく道を考えたほうがいいのではと助言する。
しかし伸一は、「柾樹のやり方では敵ばかり作る」と危惧し、共闘の可能性を否定する。
そのころ縁側では、カツノ(草笛光子)と平治(長門裕之)が静かに語り合っていた。カツノは、柾樹のやり方が反発を生むことを承知している様子。平治は「加賀美屋といえど一つ間違えれば分からない」と意味深な言葉を残す。
カツノは何か策を持っているようだが、「まだその時ではない」と濁す。平治は、その結末を楽しみにしているようでもあった。
個人的感想
まずは環。
ここまでくると、環は完全に柾樹側だ。
板長・篠田の不正を追及した時に覚悟を見た、と言っている。
つまり今回の寄付金拒否も「想定内」ということになる。
ということは――
やっぱり柾樹に与えられた権限は相当広い。
板場改革だけでなく、経営の慣習全般にメスを入れる権限を持っているという解釈でほぼ確定じゃないか。
そうなると、伸一がどう思おうと、
柾樹は好きなように改革を進められる立場にいる。
だから事前相談も不要?
根回しも不要?
それが今回の独断行動の背景なのかもしれない。
環が認めているなら、久則も伸一も事実上ストップをかけられない。
……それってかなり危うい構造じゃないか?
伸一の立場
伸一は「敵を作る」と言う。
これは経営論というより、組織論の話だ。
改革は正しくても、孤立すれば回らない。
恵美子は意外と冷静だった。
「一緒にやる道を考えたら?」
この一言が一番現実的だった気がする。
でも伸一はそれを拒否する。
ここが分岐点だ。
伸一が“共闘”を選ばない限り、
加賀美屋は二極化する。
カツノの沈黙
そして一番気になるのはカツノ。
「まだその時ではない」
その時とは何だ?
-
柾樹が限界まで追い込まれた時か
-
伸一が折れた時か
-
組合との対立が決定的になった時か
カツノは見守っている。
止めない。
助けない。
今は。
平治は「どういう結末になるのか楽しみ」と言う。
これは観察者ポジションだ。
加賀美屋は今、実験台にされているようにも見える。
現在の構図
-
柾樹:実行権限あり
-
環:事実上の後ろ盾
-
伸一:現場責任者だが主導権なし
-
久則:立場が曖昧
これは“二頭体制”ではない。
“実行者+象徴的承認者”体制だ。
柾樹が走り、環が黙認する。
伸一は外側に置かれる。
この構図が続けば、
伸一はやがて反対派の象徴になる。
そして一番の問題
改革は「正しいかどうか」ではない。
「誰が責任を取るか」だ。
もし組合との関係が悪化し、
ヘルプも回らず、孤立した場合――
その責任は柾樹か?
環か?
それとも加賀美屋全体か?
カツノが動く“その時”とは、
責任の所在が明確になった瞬間かもしれない。
遠野の夜、風と共に来る者──“まぶりっと”と新たな子ども
遠野の政良(奥田瑛二)の家では、子どもたちが夏美とアキを笑顔で迎える。
しかしその裏で、政良は一本の電話に困惑した様子を見せる。
みうの母親が迎えに来ることになり、政良は仙台までみうを連れていかなければならないという。さらに紀美子(あめくみちこ)も親戚の法事で不在だという。
困った状況の中、夏美とアキが子どもたちの面倒を見ると申し出る。政良は迷いながらもそれを受け入れる。
夕食の準備をする夏美とアキ、長女の美咲。しかし他の子どもたちはどこか寂しげな様子を見せる。美咲からそれぞれの事情を聞き、アキは思わず涙をこぼす。
皆でカレーを食べ、トランプで遊ぶ穏やかな時間。だが夜になると強い風が吹き始める。
外の様子を見に行こうとするアキを、子どもたちは必死に止める。
「こんな風の強い日は、山から何かがやってくる」と政良に教えられているのだという。
その時、戸を叩く男の声。
戸を開けると、そこには“まぶりっと”と、ひとりの子どもが立っていた――。
個人的感想
まず、政良のやっていること。
これは「里親」なのか?
それとも「一時預かり施設」のようなものなのか?
-
迎えに来る親がいる
-
年に一度は会いに来る
-
中学卒業後は実親と暮らす
といった話を聞くと、長期養育というよりも“つなぎ”のように見える。
制度としてどういう形なのか、正直よく分からない。
ただ一つ言えるのは、
子どもたちの心は常に「いつか」を抱えているということ。
迎えが来るかもしれない。
来ないかもしれない。
この不安定さは相当きつい。
そしてカレー問題
夏美がご飯を作る。
つい、アレルギーは?
事前確認は?
責任の所在は?
と考えてしまう自分がいる。
でも、子どもたちは無事に完食。
そこは一安心。
「子どもを連れてきた」と戸を叩くまぶりっと。
これ、普通に怖い。
自分なら戸を開けない。
開けたとしても即警戒。
状況によっては通報も考える。
でもこの世界では――
夏美はきっと受け入れる。
疑わない。
まず信じる。
ここが夏美の強さであり、危うさでもある。
幻なのか、現実なのか
この子どもは幻なのか?
それとも現実に存在する子なのか?
遠野という土地では、
-
カッパは半信半疑
-
座敷童は自然に受け入れられる
-
風と共に何かがやってくる
この世界観の中では、
現実と幻想の境界線が曖昧だ。
夏美がこの家を「子どもを受け入れる場所」と無意識に理解しているからこそ、
疑いなく戸を開ける流れになるのだろう。
まとめ
今回の第105回は、
「払うか、払わないか」ではなく、
「守るか、壊すか」という選択の回だった。
柾樹は合理を貫く。
しかし組織は合理だけでは動かない。
一方、遠野では
“迎えに来る親”と“待つ子ども”というテーマが静かに描かれた。
寄付金を拒否する男と、
迎えに来なかった父。
物語は二つの場所で、同じ問いを投げている。
👉 本当に断ち切るべきものは何か。
👉 本当に守るべきものは何か。
そして、風の夜に現れた新たな子ども。
遠野編は、単なる幻想パートではなく、
柾樹の物語の核心へ向かう助走であることがはっきりしてきた。
明日はきっと、
“父”に近づく。
『どんど晴れ』感想まとめはこちら
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