朝ドラ再放送『どんど晴れ』第104回感想(ネタバレ)──遠野で出会ったもう一つの家族──政良の言葉と寂しげな絵が意味するもの

どんど晴れ

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2026年2月17日放送『どんど晴れ』第104回。

遠野での一夜。

川に落ちた夏美が助けられた家には、五人の里子と“父”を名乗る男・政良の姿があった。

宮沢賢治を理想とし、子どもたちと暮らす穏やかな時間。

しかしその言葉の端々には、どこか拭いきれない“後悔”の影がにじむ。

そして朝、夏美が目にした一枚の絵――

寂しげな少年の姿は、いったい誰を描いたものなのか。

遠野編が、静かに核心へと近づいていく第104回を振り返る。

※この回は、前日の展開を踏まえて見ると、より重みが増します。

👇 前回(第103回)の感想はこちら

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カッパ淵から始まった出会い――政良の家で迎えられた夜

カッパ淵に落ちた夏美(比嘉愛未)とアキ(鈴木蘭々)は、石川政良(奥田瑛二)の家へ招かれる。

政良の同居人・吉岡紀美子(あめくみちこ)に事情を説明し、紀美子は夏美のために風呂を沸かす。

風呂上がり、夏美が礼を述べると、政良は

「困っている人がいたら手を貸すのは当たり前だ」と語る。

政良は5人の子どもたちを紹介し、自らを「父」と名乗るが、紀美子は「お世話をしている紀美子です」と挨拶する。

夏美たちは遠野取材で来ていると説明。

長女・美咲は夏美をライターだと勘違いし、アキはカメラに興味を示す男兄弟たちと打ち解ける。

夏美がカッパ淵での出来事を話すと、釣り人は「まぶりっと」のじい様だと教えられる。

子どもたちですらカッパの存在を信じていないが、夏美は信じる姿勢を崩さない。

そんな夏美を「だまされやすい人?」と心配する美咲。

宿が決まっていないと知った政良は、泊まっていくよう提案。

夏美とアキはその申し出を受け入れる。


個人的感想

まず気になるのはこの家の構造だ。

政良は「父」と名乗り、紀美子は「お世話している」と名乗る。

苗字も違う。婚姻関係ではなさそうだ。

事実婚なのか、あるいはもっと別の事情なのか。

この距離感は、意図的にぼかされている感じがする。

そして夏美。

子どもたちからも「だまされやすそう」と言われる。

これは悪口ではない。

むしろ全視聴者の共通認識だと思う。

疑うという思考回路をほとんど持たない。

その純粋さが奇跡を呼ぶのか、

それとも誰かを傷つけるのか。

今回は前者の予感が強い。

「まぶりっと」という言葉も印象的だった。

遠野の伝統と技術を守る人らしい。

そして一番引っかかるのはここ。

夏美は

・遠野の取材で来ていること

は言う。

だが

・普段は加賀美屋の仲居であること

は言わない。

なぜだ?

ライターはイレギュラー。

本職は仲居のはず。

普通なら「普段は旅館で働いています」と言いそうなものだ。

言えばすぐに

「どこの旅館?」

→「加賀美屋」

→「え?」

となる可能性がある。

無意識か、

それともどこかで“本能的に”言わなかったのか。

もし政良が本当に柾樹の父なら、

この偶然は出来すぎている。


「父」と「お世話している」の違い

政良は父と名乗る。

紀美子は母とは言わない。

これは

・里親制度

・共同生活

・血縁にこだわらない家族

の暗示かもしれない。

柾樹が血縁に苦しんでいる一方で、

政良は血縁を超えた家族を作っている。

対比構造の可能性。


夏美は“加賀美屋の仲居”であることを隠したのか

もし無意識に言わなかったなら、

夏美は

・空気を読む力が皆無

ではなく、

・直感で危険を避けた

可能性もある。

夏美は考えていないようで、

実は“感じている”人物かもしれない。


カッパは伏線か象徴か

カッパを信じる夏美。

カッパは

・信じる者だけが出会う存在

の象徴かもしれない。

父もまた、

信じなければ出会えない存在なのか。


宮沢賢治という理想郷――イーハトーブと重なる思想

石川家では家族そろっての夕食。

政良は、宮沢賢治の生き方が理想だと語る。

アキは、自分たちが下宿している「イーハトーブ」という名前や、マスターが宮沢賢治を敬愛していることを説明する。

政良はイーハトーブの意味を語る。

それは単なる理想郷ではなく、

「そこが求める場所ではなく、そこに行って自らが理想郷を作ることである。」という思想だと。

食事の場では『雨ニモマケズ』をみんなで唱和し、

さらに政良は『セロ弾きのゴーシュ』を子どもたちに読み聞かせる。

夏美は紀美子に「いいお父さんですね」と伝えるが、

紀美子は政良が実の父ではなく、子どもたちは里子であることを明かす。

そして、もう10年こうして暮らしていると語る。


個人的感想

この回は“思想の回”だった。

政良が語るイーハトーブの定義。

「そこに理想郷があるのではない。

自ら理想郷を作るのだ。」

……これ、完全に今の柾樹だよな。

与えられた加賀美屋を守るのではなく、

理想の加賀美屋を自分の手で作ろうとしている。

血は争えない。

もし政良が柾樹の父なら、

思想レベルで親子は同じ方向を向いている。

そしてアキが下宿のイーハトーブの話をしても、

政良は特に反応しない。

少なくとも政良が加賀美屋にいた時代には

あの下宿は関係していなかったということか。

ここは地味に時系列のヒント。

ただ正直に言うと、

晩ごはん中に家族全員で「雨ニモマケズ」を唱和するのは

ちょっと怖い。

美談ではある。

だが、

あまりにも整いすぎている。

理想的すぎる家族像は、

逆にどこか現実離れして見える。

そして里親の告白。

ここで空気が少し変わる。

血縁ではない家族が、

10年も続いている。

10年。

この数字が妙に引っかかる。

環の「10年前に一度だけひどい二日酔いで倒れた」話も10年前。

偶然か?

それともこの物語は、

10年前に何か大きな転換点があったのか?

10年前=柾樹が高校生くらいの頃か。

何かが重なっていてもおかしくない。


「血縁を超えた家族」vs「血縁に縛られた家族」

政良は血のつながらない子どもたちと家族を築く。

一方、柾樹は血の父に縛られ、

「俺に父親はいない」とまで言う。

対照的すぎる構図。

もし政良が父なら、

・血縁を捨てた父

・血縁に縛られた息子

というねじれが生まれる。


10年前という伏線

・環の二日酔い事件

・石川家の「10年」

・加賀美屋の衰退の始まり?

10年前に

・政良が遠野に根を張った?

・加賀美屋で何かが決定的に起きた?

可能性は十分ある。

ドラマはわざわざ数字を重ねないはず。


イーハトーブ思想=柾樹の経営哲学

政良の理想論は

現実逃避ではない。

「理想を作る」という能動思想。

柾樹の改革も同じ。

つまり、

父は逃げたのではなく、

別の場所で理想を作った可能性もある。

そうなると、

父は敗北者ではなく

“別の勝ち方を選んだ人間”になる。


座敷童の夜――夏美が動かす感情

布団を敷きながら、夏美とアキは石川家の子どもたちが里子であることについて話す。

寝る前、夏美は卯子酉様で願掛けに書いた名前が誰なのかをアキに問い詰める。

アキは明言しないものの、裕二郎の名前であることをほのめかし、布団に顔を隠す。

一方、濁酒を飲む政良は、昼間に夏美を座敷童に見間違えたことを紀美子に話す。

紀美子もそれを否定せず、「遠野ならありえない話でもない」と受け止める。

そして、もし夏美が座敷童なら、この家にも良いことが起こるかもしれないとつぶやく。


個人的感想

夏美は本当に遠慮がない。

昼間アキがはぐらかしたことを、

夜になってもう一度聞く。

悪意はない。

でも「察する」というブレーキがあまりない。

普通なら

「あ、触れられたくない話なんだな」と止まるところを

そのまま踏み込む。

でも、だから物語が動く。

もし夏美が空気を読むタイプだったら

このドラマ、ここまで転がっていない。

アキが布団で顔を隠すのはかわいいのかもしれないが、

あれは完全に「図星」ですの合図。

そしてもう一つ面白いのは、

カッパは信じないのに

座敷童は否定しない世界。

政良も紀美子も、

夏美=座敷童を真顔で受け止めている。

遠野という土地がそうさせるのか、

それとも“座敷童は象徴”だから受け入れやすいのか。

カッパは物理的存在。

座敷童は精神的存在。

信じる対象が違うのか。


夏美の「鈍感力」は物語装置

夏美は察しない。

でもそれは、

人の心の扉を無意識にこじ開ける力でもある。

・アキの恋心

・柾樹の父の問題

・加賀美屋の慣習

全部、夏美が踏み込んだから動いた。

空気を読める人間は

物語を停滞させる。

読めない人間は

物語を前に進める。


座敷童は「幸運」ではなく「変化」の象徴

普通、座敷童は福をもたらす存在。

でもこのドラマでの座敷童は

“停滞を壊す存在”に見える。

夏美が来てから

・篠田問題
・卸との決別
・経営改革
・父問題再燃

全部動いた。

幸運というより

変化の触媒。

だから紀美子が

「良いことが起こるかも」と言うのは、

“何かが変わる”予感を感じ取っているのかもしれない。


政良の心情

もし政良=柾樹の父なら。

彼は

・家族を捨てた過去
・里親としての現在
・理想主義者としての自負

を抱えている。

そんな男が

夏美を“座敷童”と見る。

それは

「変化が来た」

と無意識で察知したからかもしれない。


迎えに来られなかった父――一枚の絵が示すもの

翌朝、子どもたちは夏美たちがまだ帰らないことを紀美子に確認してから学校へ向かう。

取材に出かける前、夏美は政良が描いている遠野の風景画を眺める。

政良は、夏美たちが来てくれたおかげで子どもたちが楽しそうだったと感謝する。

夏美も泊めてもらったことに礼を述べる。

政良は、里子たちを本当の親のように育てているが、子どもたちは実の親を恋しく思っているに違いない、いつか迎えに来てくれると信じて待っているのだと思うと切ないと語る。

そのとき夏美は、一枚の“男の子の絵”に目を止める。

どこか寂しげなその絵に、夏美は「どこかで会ったような気持ち」を抱く――というナレーションで本日の放送は終了。


個人的感想

政良の言葉は、完全に“自分語り”に聞こえた。

里子はきっと実の親を待っている。

迎えに来てくれると信じている。

それは本当に里子の話なのか?

もし政良=柾樹の父なら、

これはほぼ懺悔だろう。

「迎えに行けなかった」

「迎えに行かなかった」

どちらなのかはまだ分からない。

でも、

“子どもは待っているはずだ”

と語るその口調には、自分自身への問いが混ざっている気がする。

そしてあの絵。

あれはどう見ても柾樹だろう。

もう伏線としては十分すぎるくらい分かりやすい。

・絵を描くのが好きな父

・遠野在住

・子どもを描いた絵

・寂しげな男の子

ここまで揃って裏切られたら逆に天才脚本だ。

ただ、あまりにも一直線すぎて、

少しだけ「ひねり」が欲しくなる自分もいる。

でも、素直な物語も悪くない。


政良の“里親論”は自己投影

政良の発言は重要。

子どもたちは実の親が恋しいに違いない

迎えに来てくれると信じて待っている

これ、裏を返せば

「迎えに行けなかった自分」

の存在を認めていることになる。

彼は今、里子を育てることで

・かつて果たせなかった父親役

・失った時間の埋め合わせ

をしている可能性が高い。

里親は贖罪なのか。

それとも理想の実践なのか。


「迎えに行けなかった理由」仮説

考えられるパターンは三つ。

  1. 本当に去った(理想主義ゆえの逃避)

  2. 戻ろうとしたが阻止された(カツノとの対立)

  3. 戻れない事情があった(病気・借金・精神的崩壊など)

ここで重要なのは、

政良は“完全な悪人”として描かれていないこと。

理想を語り、子どもを育て、

優しく、文化的。

つまりこのドラマは

「父の失踪=単純な無責任」にはしない気がする。


絵の意味

夏美が“どこかで会ったような気持ち”を抱く。

これは記憶ではなく、

感情の既視感。

つまり、

絵に描かれた少年の感情が

柾樹と重なっている。

柾樹は

・甘えられない
・一人で抱える
・理想を追う
・寂しさを見せない

その原型が、あの絵にある。

もしあの絵が柾樹なら、

政良はずっと息子を心に抱いて生きてきたことになる。

捨てたのではなく、

抱え続けていた可能性。


まとめ

遠野編は、加賀美屋の経営や組織の対立とはまったく違う角度から物語を掘り下げている。

今回のテーマは「理想」と「父」。

政良が語る里子への思いは、

そのまま“迎えに行けなかった父”の心情のようにも聞こえた。

もし彼が柾樹の父なら、

遠野での再会は赦しの物語になるのか。

それとも、新たな対立を生むのか。

夏美という“座敷童”が現れたことで、

止まっていた時間が動き出す予感がする。

遠野の静かな風景の中で、

物語は確実に核心へと近づいている。

明日は、いよいよ正体が明かされるのか――。

『どんど晴れ』感想まとめはこちら

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