朝ドラ再放送『どんど晴れ』第59回感想(ネタバレ)──茶釜完成、そして夏美が語った「女将になりたい理由」

どんど晴れ

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2025年12月19日放送の『どんど晴れ』第59回は、平治の工房で完成した茶釜をめぐり、夏美の再挑戦が大きく動く回だった。

茶会まで残り4日。環は平治の茶釜を諦めかけるが、カツノは夏美を信じて待つことを選ぶ。

一方、平治は夏美との日々の中で創作への情熱を取り戻し、久しぶりに納得のいく茶釜を完成させる。

完成した茶釜を夏美が加賀美屋に持ち帰ったことで、交換条件だった話し合いが始まり、夏美は「跡継ぎの結婚相手ではなく、一人の仲居として修業させてほしい」と自分の意思をはっきりと伝える。

第59回は、茶釜の完成とともに、夏美が“女将になりたい理由”を言葉にした回だった。

平治の価値観が変わり始める/待つ者と諦める者の差

イーハトーブでは、仲間たちが夏美(比嘉愛未)が平治の工房に泊まり込みで手伝っていることを心配している。

一方、夏美は平治(長門裕之)の工房で、与えられた目の前の仕事に必死に取り組んでいた。

平治は茶釜の製作中、思うようにいかない部分がありながらも、「これも味か」と受け入れ、これまでのように“格好をつける”のをやめたと、聡(渡邉邦門)に語る。

加賀美屋では、環(宮本信子)が「他の職人の茶釜ではどうか」とカツノ(草笛光子)に提案する。

しかしカツノは、もう少し待つことを選択する。

一度修業を投げ出した夏美に対する懸念を環が示す中、

カツノは

「もう一度だけ、夏美にかけてみたい」

と語る。


個人的感想

夏美の存在によって、

「格好つけるのをやめた平治」という変化が起きている。

平治ほど名の通った職人であれば、正直なところ、作品の出来栄え以前に

“平治の名前”だけで売れる世界にいてもおかしくない。

それでも平治は、自分が納得できないものは出さない、という信念を貫いてきた。

だからこそ、

  • うまくいかない部分があっても

  • それを「味」だと受け入れられた瞬間

ようやく「これは自分の作品だ」と手放せたのだろうと思う。

一方で、環は「茶釜があればいい」と考え、作者にはこだわらない。

対してカツノは、平治の作品だからこそ意味があるという価値観を持っている。

この二人の価値観が交わることは、おそらくない。

また、カツノがなぜそこまで夏美を信じ続けられるのかは、正直よく分からない。

ただ一つ確かなのは、夏美が

「うまくいかなくても、それでいい」

という価値観を、平治の中に芽生えさせたこと。

その作品が市場で受け入れられるかどうかは、消費者が決めることだ。

平治が納得したとしても、受け入れられなければ淘汰される。それだけの話でもある。


■「格好をつけない」ことは妥協ではない

平治が言う「格好をつけるのをやめた」は、質を下げたという意味ではない。

むしろこれは、

  • 完璧であろうとする自分

  • 名工としての看板

  • 周囲の期待

そうした外部基準からの解放に近い。

職人としての矜持を捨てたのではなく、矜持の置き場所を変えたと見るほうが自然だ。


■環とカツノの「価値の置きどころ」の違い

環にとって重要なのは、

  • 茶会が成立すること

  • 予定通り進むこと

  • 機能が満たされること

一方カツノは、

  • 誰が作ったか

  • どんな覚悟で作られたか

  • 物語性や重み

に価値を置いている。

合理と象徴。

実務と物語。

この二人は、同じ「茶釜」を見ていても、まったく違うものを見ている


■「もう一度だけ信じる」という危うさ

カツノの

「もう一度だけ、夏美にかけてみたい」

という言葉は美しく聞こえる。

だが同時に、

  • なぜ一度目は失敗だったのか

  • 何が変わったのか

  • 再挑戦の条件は何なのか

その説明は一切ない。

信じることが、検証や責任の代替になってしまうと、それは賭けになる。


■市場が最終的に下す判断

平治が納得した作品であっても、市場が受け入れるとは限らない。

職人の自己評価と、消費者の評価は別物だ。

この回は、

  • 作り手の再生

  • 覚悟の回復

までは描いているが、評価されるかどうかは、まだ描かれていない

ここをどう描くかで、この物語が「美談」で終わるのか、「現実に接続される」のかが決まる。


茶釜は欲しいが、夏美はいらない?──矛盾した会議の行き着く先

加賀美屋では、環、久則(鈴木正幸)、伸一(東幹久)、時江(あき竹城)が集まり、夏美が本当に茶釜を持って戻ってくるのか、そして戻ってきた場合、修業を続けさせるべきなのかについて話し合っている。

茶釜を待つか、夏美の処遇をどうするか。結論は出ないまま、議論は堂々巡りを続ける。


個人的感想

まず、時江が環一派の話し合いに当然のように参加していることに、思わず笑ってしまった。

まだ正式に復職したわけでもないはずだ。それなのに、いつの間にか意思決定の輪の中にいる。

この時点で、加賀美屋の「組織としての曖昧さ」は相当だ。

議題自体も矛盾している。

  • 茶釜は欲しい

  • でも夏美は修業させたくない

都合のいい成果だけ欲しくて、そこに至るプロセスや人材は排除したい。

そんな虫のいい話に、明確な答えが出るはずもない。

そして案の定、このメンバーで話し合っても、建設的な意見が出ることはなく、最後はいつものように久則が

「どうすればいいべ……」

と環に泣きつく。

この様式美を見ると、逆に安心感すら覚えてしまう。


■久則の「泣きつき」は無能ではなく役割

久則が結論を出せず、最終的に環に泣きつく流れは、毎度おなじみだ。

だがこれは、久則が無能なのではなく、

  • 決断を期待されていない

  • 責任を負わされない役割

として配置されている結果でもある。

決めるのは環。

久則は迷う役


■この会議は結論を出すためのものではない

この話し合いは、

  • 解決のため

  • 判断のため

ではなく、

「悩んでいる感」を共有するための会議に近い。

だから結論は出ないし、出す必要もない。

最終判断は、いつも別の場所で、別の力学によって決まる。


期待も心配もするな──職人が結果を手放す瞬間

平治の工房では、平治が聡と夏美に対し、職人としての気構えを語っている。

夏美は、平治のためにブルーベリーゼリーを作る。

三人は、現在製作中の茶釜について話し合い、出来栄えや向き合い方について意見を交わす。

聡が

「今回はいいものができそうですね」

と声をかけると、平治は、

「期待するんでねぇ。だども、心配もするな。あとは出来上がるのを、じーっと待つだけだ」

と語る。

また平治は、根負けした時点で、茶釜が完成すれば夏美に持たせるつもりだったことを明かす一方、満足できない出来なら捨てるとも断言する。

平治は、自分の作品のほとんどは気に入らないとも語る。


個人的感想

聡の

「今回はいいものができそうですね」

という言葉に対する平治の返しは、かなり深い。

期待するな。

だが心配もするな。

やれることをやったなら、あとは結果を待つだけ。

当たり前のようでいて、実際にはほとんどの人ができない境地だ。

「やれることはやった」と思っていても、

  • 期待してしまう

  • 心配してしまう

この二つは、どうしても湧いてくる。

平治クラスの職人にまで辿り着いて、ようやく理解できる

「一生一作」

という気構えなのだろう。

また、夏美が茶釜を持って帰らなければならない立場なのに、一度も「欲しい」と口にしない点も印象的だった。

すっかり懐柔された平治は、ブルーベリーゼリーを食べながら、

  • 茶釜ができたら持たせるつもりだった

  • だが、満足できなければ捨てる

という、職人としてのプライドもはっきり示す。平治は、ほとんどの作品が気に入らないという。だからこそ、彼が納得した作品だけが、評価されてきたのだろう。

結局、夏美が茶釜を持ち帰れるかどうかは、情でも努力でもなく、作品の出来栄え次第

ここでようやく、話がシンプルな場所に戻ってきた気がした。


■「期待も心配もするな」は結果を手放す覚悟

平治の言葉は、感情を持つな、という意味ではない。

  • 期待=結果への執着

  • 心配=失敗への恐怖

そのどちらにも縛られず、

やるべき工程だけに集中する

という態度だ。

これは才能ではなく、長年の試行錯誤の末に辿り着く境地。


■「一生一作」という職人論

平治が語る姿勢は、数をこなす生産者ではなく、

一つ一つの作品に

全人格を投じる作り手の思想

に近い。

だからこそ、

  • 気に入らない作品は捨てる

  • 世に出さない

という判断ができる。

これは厳しさであると同時に、消費者への誠実さでもある。


■ 夏美が「欲しい」と言わない意味

夏美が一度も

「茶釜が欲しい」と言わなかったのは重要だ。

彼女は、

  • もらう権利

  • 努力した対価

としてではなく、

平治が納得した結果として渡されるかどうかにすべてを委ねている。

ここで初めて、座り込みや粘りとは違う、待つ覚悟が描かれている。


■ 情ではなく、作品で決まる段階に来た

この時点で、物語はようやく、

  • 同情

  • 善意

から一段階離れ、作品の出来だけが判断基準になる。

これは平治にとっても、夏美にとっても、最もフェアで、最も厳しい局面だ。


茶釜ではなく「湯」を褒めた言葉が届いた瞬間

平治の工房で、ついに茶釜が完成する。

完成した作品を見て、弟子の聡は

「最近の中では一番いい出来だ」

と評価する。

それを受けて平治は、思ったことを正直に言ってみろと、夏美にも感想を求める。

夏美は、

「柔らかい感じがする」

「これでお湯を沸かしたら、おいしいお茶が飲めそう」

「気持ちが温かくなるんじゃないか」

と、自分なりの言葉で感想を述べる。

その言葉を聞いた平治は、

「茶釜を褒められず、沸かしたお湯を褒められたのは初めてだ」

と語り、その茶釜を夏美に持ち帰ることを許す。


個人的感想

南部鉄器のことをよく知っている弟子の聡は、茶釜そのものの出来栄えを評価できる。

だが、南部鉄器の知識がない夏美にとって、「正直な感想を言え」と言われても、普通は言葉に詰まってしまう場面だ。

通常であれば、

「茶釜のことはよく分かりません。申し訳ありません」

と答えても、まったくおかしくない状況だったし、それでも許される空気だったと思う。

それでも夏美は、茶釜そのものを評価することはできなくても、その茶釜で沸かしたお湯を想像した

この茶釜で沸かしたお湯で入れたお茶は、きっとおいしい。飲む人の気持ちも温かくなる。

そう語ることで、茶釜を

「芸術品」ではなく

「使われる道具」

として捉え直した。

だからこそ平治は、茶釜そのものではなく、茶釜が生み出す時間や体験を評価されたことに、心を動かされたのだろう。


■専門家の評価と、使い手の評価は別物

聡の評価は、

職人世界・技術世界の内部評価だ。

一方、夏美の言葉は、

使い手の立場からの評価。

どちらが正しいという話ではないが、評価の軸がまったく違う

この二つが交わったとき、作品は初めて「閉じた世界」から外へ出る。


■「分からない」と言わなかった勇気

夏美は、「分からないから評価できない」という安全な選択をしなかった。

代わりに、

  • 見た印象

  • 使われる場面

  • 受け取る人の気持ち

という、自分が想像できる範囲で言葉を探した。

これは知識ではなく、感性の仕事だ。


■ 茶釜を「道具」に戻した一言

夏美の言葉は、茶釜を再び

「湯を沸かすための道具」

に引き戻した。

名工の作品になると、いつの間にか

  • 評価されるもの

  • 鑑賞されるもの

になりがちだ。

だが本来、茶釜は人の手に渡り、日常の中で使われるもの。

平治が心を動かされたのは、その原点を思い出させた言葉だった。


■ なぜ平治は許したのか

平治が茶釜を渡した理由は、同情でも、努力へのご褒美でもない。

この茶釜が、

  • 使われる場面を想像され

  • 人の時間を温めるものとして語られ

役割を得たからだ。

職人にとって、作品が「役割」を持つことほど、納得できる評価はないはずだ。


「枯れて」という言葉と、女将になりたい理由の言語化

夏美は、平治の茶釜を無事に加賀美屋へ持ち帰る。

茶釜を見たカツノは

「良く枯れて」

と評し、その言葉の意味を夏美に説明する。

平治の新しい茶釜を前に、環は夏美が平治に何と言ったのかを気にする。

カツノは、心にもない褒め言葉よりも、夏美の言葉のほうがはるかに平治の心に届いたのだろうと語り、夏美を労う。

茶釜を持ち帰るという交換条件が果たされ、夏美は話し合いを始める。

夏美は、

  • 本気で女将になりたいこと

  • 柾樹の結婚相手としてではなく

  • 一人の仲居として修業させてほしいこと

をはっきりと告げる。

さらに、

柾樹の結婚相手として甘えたくない

結婚したいから女将になるのではない

職業としての女将になりたい

という自分の意思を言葉にする。


個人的感想

茶釜を褒める言葉は、「枯れて」しかないのだろうか、という疑問がまず浮かぶ。

カツノも、以前の環も、平治の茶釜を評するときに同じ「枯れて」という言葉を使っていた。

たとえ環の言葉に心がこもっていなかったとしても、他の表現はあり得たのか、という引っかかりは残る。

ただ一方で、夏美は茶釜について無知だったからこそ、平治に対して斬新な褒め方ができた。

知識がある環は、「枯れて」という正解の言葉を使うしかなかったのかもしれない。

もし本当に平治が相手の心を見抜く才能を持っているのなら、どんな言葉を使っても、結局は見透かされていたはずだ。

そう考えると、環が平治にへそを曲げられたのは、言葉選びの問題ではなく、姿勢の問題だったのだろう。

また今回も、夏美はカツノと環にだけお願いをして、同じ場にいる久則の名前は一度も出さなかった。

久則は

「夏美ちゃん、夏美ちゃん」

と、かなり気にしてくれていたのに。

とはいえ、茶釜を無事に持ち帰った以上、たとえ反対意見があったとしても、最後はカツノの鶴の一声で修業は再開されるのだろう、という予感もある。


■「枯れて」という言葉が持つ安心と限界

「枯れて」は、

南部鉄器の世界では正解の言葉なのかもしれない。

だからこそ、

  • 無難

  • 共有可能

  • 外さない

一方で、それ以上でも以下でもない。

正解の言葉は、心を伝えるという点では最も安全で、最も届きにくい場合もある。


■知識がある者ほど言葉が狭くなる

環は、茶釜についての知識も経験もある。

だからこそ、評価の枠から外れた言葉を使えなかった。

夏美は無知だったから、評価軸を持たずに「使われる場面」を想像できた。

これは、

専門性が感性を縛る瞬間でもある。


■カツノが評価したのは言葉ではなく「届き方」

カツノが言っているのは、

どんな言葉を使ったかではなく、

その言葉が平治にどう届いたか

という点だ。

心にもない褒め言葉と、

拙くても実感のある言葉。

カツノは、後者の価値をはっきりと認めている。


■「女将になりたい理由」を語った意味

夏美はここで初めて、

  • 結婚

  • 恋愛

  • 立場

から切り離して、

女将になりたい理由を語った。

これは、

「選ばれる側」

から

「選ぶ側」

への転換でもある。

女将を

肩書きではなく

職業として選ぶ。

この言語化ができたことで、

夏美の立場は

感情論から一段上に移った。


■ 久則が「いない人」になる構造

久則が今回も完全に蚊帳の外だったのは偶然ではない。

この家では、

決める人が決める

迷う人は迷う役

気にかける人は報われない

という役割分担がすでに固定されている。

久則は優しいが、決定権を持たない。

だから、物語の要所から自然と消えていく。


まとめ

第59回は、平治の茶釜完成という成果とともに、夏美の立場と覚悟がはっきりした回だった。

茶釜を完成させたのは平治だが、その背中を押したのは、知識ではなく、使う場面を想像する夏美の言葉だった。

また夏美は、柾樹の結婚相手という立場から距離を取り、

職業として女将になりたいと自分の言葉で語ることで、初めて進むべき場所を定めた。

茶釜は持ち帰られ、修業再開への道は開かれた。

だがそれは、特別扱いの再開ではなく、「一人の仲居としてやり直す」という、より厳しいスタートでもある。

第59回は、再挑戦が“覚悟”として成立した回だったと言えるだろう。

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