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2025年12月17日(水)放送の『どんど晴れ』第57回は、
夏美が再び盛岡に戻り、女将修業再開を懸けて“座り込み”を続ける回だった。
平治の工房の前で、正座のまま、雨に打たれながら、「うん」と言ってもらえるまで帰らない――。
その姿は、覚悟を貫く強さとして映る一方で、見ている側に強い違和感も残す。
一方、加賀美屋では、時江の再登場によって“処分とは何だったのか”という問題が浮き彫りになり、誠心誠意という言葉の意味が、さらに揺らぎ始める。
◆【横浜サイド】仕事と恋が絡み合う、香織の一貫した貪欲さ
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横浜の柾樹(内田朝陽)の職場では、柾樹と香織(相沢紗世)の仕事は順調に進んでいる。
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香織の叔父(伯父)である副総支配人(ささきいさお)も、二人の企画に協力的な姿勢を見せる。
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副総支配人は仕事の話の流れで、香織に対し「柾樹とよりを戻すのか」を探るような質問をする。
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そこへ久美子(別府あゆみ)が現れ、
「どうして夏美を引き止めなかったのか」
と柾樹を問い詰める。 -
その会話を、偶然香織が聞いてしまう。
個人的感想
叔父(伯父)である副総支配人に、柾樹の企画のための予算を捻出してもらう流れは、公私混同もここまで来たか という感じ。
ただし、香織という人物像としては一貫している。使える人脈はすべて使う、欲しいものは遠慮なく取りに行く。その貪欲さだけは、最初から最後までブレない。
そしてこのドラマは本当に、仕事とプライベートの境界線が存在しない世界 なんだなと改めて思う。
副総支配人も、最初は仕事の話をしていたはずなのに、気づけば「二人はまた付き合わないのか」という私情トークに移行している。
柾樹はこの職場では
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企画力を評価され
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上層部にも期待され
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周囲も協力的
と、かなり恵まれた環境にいる。正直、敵だらけで理不尽な加賀美屋に戻るより、この横浜のホテルでキャリアを積んだほうが合理的じゃないかと思ってしまう。
そして久美子と柾樹の
「夏美はもういない」
という会話を聞いてしまった香織。
これはもう、香織が攻勢を強めるフラグが立ったとしか思えない。
■ 副総支配人=このドラマの縮図
副総支配人の存在は、この作品世界を象徴している。
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仕事の評価と恋愛感情が混ざる
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身内びいきが当然のように行われる
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公の場でも私情が入り込む
加賀美屋だけが特殊なのではなく、どんど晴れ世界全体が「公私未分化」 なのだと分かる。
だからこそ、夏美の「私情全開・感情全開」の行動が、この世界では異端ではなく“適応”として描かれる。
■ 柾樹は「最も現代的」なのに浮いている
柾樹は、
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仕事は仕事
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恋愛は恋愛
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感情より合理
という、かなり現代的な価値観を持っている。
皮肉なのは、柾樹が一番まともな場所にいるほど、物語からは遠ざかるという点。
このドラマは、合理的に成功する人間よりも、感情で迷走する人間を主人公にしたい。
だから柾樹は、どこかで必ず「引き戻される役割」を担わされる。
■ 香織にとっての「最大の好機」
久美子の問い詰めと、その会話を聞いてしまった香織。
これは香織視点では、
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夏美はいない
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柾樹はフリー
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職場の上司(叔父)も後押し
という、これ以上ない好条件。
香織は
「待つ女」ではなく
「取りに行く女」。
今後は
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仕事の距離
-
感情の距離
-
周囲の圧力
すべてを使って、柾樹に近づいていくはず。
■ この場面の役割
この場面は単なる横浜サイドの描写ではなく、
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盛岡(情・因習・覚悟)
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横浜(合理・評価・誘惑)
という 二つの世界の対比 を明確にするための装置。
そして視聴者にこう問いかけている。
柾樹は、どちらを選ぶべきなのか?
合理的に見れば横浜。
物語的に見れば盛岡。
このズレこそが、今後の柾樹の苦しさと、香織の存在感を一気に高める伏線になっているはず。
◆【朝倉家】姉の背中を見て、智也が選んだ“再挑戦”
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夏美がいなくなり、柾樹の家に居づらくなった智也(神木隆之介)は、実家へ戻ってくる。
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夏美の姿を見た智也は、自分ももう一度サッカーをやろうと決意する。
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智也は、自分よりもずっと大変な状況に置かれている姉・夏美を心配する。
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父・啓吾(大杉漣)と母・房子(森昌子)も、夏美の行動を案じる表情を見せる。
個人的感想
智也がちゃんと実家に戻ってきてくれて、まずは一安心。夏休みとはいえ、いつまでも柾樹の家に居候し続けるわけにもいかないし、このタイミングで帰ってきたのは自然な流れだと思う。
夏美の姿を見て
「自分ももう一度サッカーをやろう」
と決意するのも、智也らしい。
サッカー部を辞めた理由も、再び挑戦しようと思った理由も、どちらも「自分一人の問題」ではなく、家族、とくに夏美との関係性の中で生まれている。
だからこそ、ここは素直に
「もう一度、サッカーやりなさい」
と言ってあげたい。
■ 智也は「もう一人の鏡像」
この物語において智也は、夏美の内面を映す鏡の役割 を担っている。
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夏美が逃げると、智也も逃げる
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夏美が立ち向かうと、智也も立ち上がる
今回もそれがはっきり描かれた。
夏美が
「中途半端では終われない」
と盛岡で座り込みを続けている最中に、
智也は
「もう一度サッカーをやる」
と自分の世界で再挑戦を選ぶ。
二人は別々の場所にいるが、同じテーマと向き合っている。
■ 智也が「実家に戻る」意味
智也が柾樹の家を離れて実家に戻ったのは、単なる生活上の都合ではない。
これは、
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他人の家で守られる側
から -
自分の居場所で立ち直る側
への移行を意味している。
柾樹の家にいた頃の智也は、どこか「夏美の代理」だった。
でも今は、
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夏美は盛岡で闘っている
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自分は自分の場所で闘う
と役割が分かれた。
これは智也にとって、自立の第一歩 と言っていい。
■ この場面の役割
この場面は一見すると小さなエピソードだが、
物語全体では重要な意味を持つ。
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夏美の再挑戦が「家族に連鎖している」こと
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智也もまた「中途半端から抜け出そうとしている」こと
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家族全員が、それぞれの場所で試されていること
を、静かに示している。
夏美だけが特別なのではない。
朝倉家そのものが「再挑戦のフェーズ」に入った
という合図でもある。
◆【平治の工房】「修業を途中で投げ出す者は認めない」という職人の線引き
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平治(長門裕之)の工房では、平治が「絶対に作らない」「帰れ」と何度言っても、夏美は居座り続ける。
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夏美は弟子の聡(渡邉邦門)と再会し、かつて聡の言葉がきっかけで「女将になりたい」と気づいたことを語る。
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聡も夏美の思いを理解し、平治に一緒にお願いする。
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しかし平治は、
「お前は俺の味方なのか、それとも夏美の味方なのか」
と聡を問い詰める。 -
平治は、
「修業を途中で逃げ出すようなやつは好きじゃない」
「帰れ。二度と来るな」
と夏美を強く拒絶する。 -
それでも夏美は諦めず、工房の外で正座して待ち続ける。
個人的感想
正直、良いか悪いかは別として、「邪魔だから帰ってくれ」と明確に言われても居座れるメンタルは、ちょっと羨ましくなってきた。
ここまでくると、
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空気を読む
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相手の都合を察する
という感覚が、ほぼ機能していない。
でもその代わり、
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折れない
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引かない
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自分の目的を見失わない
という一点においては、異様なほど強い。
これだけメンタルが強ければ、確かに心の病にはなりにくいタイプかもしれない。
よく考えると、夏美が本気で落ち込んでいたのって、柾樹の部屋で数日うずくまっていた時だけ。
この自己回復力は、もはや才能の域だと思う。
■ 平治が嫌っているのは「行為」ではなく「姿勢」
平治が夏美を拒絶する理由は、一貫している。
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女将になりたいこと
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必死に頼み込むこと
-
座り込みをすること
これらそのものではない。
平治が本当に許せないのは、
「一度逃げた」という事実
職人の世界では、
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未熟 → 許される
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失敗 → 許される
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逃げ → 許されない
という価値観が強いのかもしれない。
だから平治にとって夏美は、
「頑張っている若者」ではなく、「一度、投げ出した人間」
その評価は、今どれだけ必死でも簡単には覆らない。
■ 夏美の座り込みは「交渉」ではない
これは説得でも交渉でもなく、存在を差し出す行為に近い。
自分の時間、体力、尊厳を削って、相手の前に居続ける。
だから周囲から見ると、
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図々しい
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迷惑
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自己中心的
にも見える。
でも同時に、
「そこまでしてでもやりたい」
という意思だけは、疑いようがない。
■ 夏美のメンタルの正体
ここまで見てきて分かるのは、夏美のメンタルが強い理由。
それは、
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他人からどう見られるか
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嫌われること
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拒絶されること
を、重要視していないから。
夏美の優先順位は常にこう。
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自分がやりたいか
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自分が納得できるか
-
そのために何が必要か
だから、
「迷惑だ」
「帰れ」
「嫌いだ」
と言われても、心が折れる前に行動を続けられる。
これは共感しにくいが、主人公としては非常に強い資質。
■ この場面の役割
この場面は、
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夏美の覚悟を示す
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平治の価値観を明確にする
-
聡の立ち位置を揺さぶる
という三つの役割を同時に果たしている。
特に重要なのは、
夏美は「好かれたい」段階を完全に越えた
という点。
もう評価されたいわけでも、許されたいわけでもない。
ただ、
「やると決めたことを、やりきりたい」
そこにしか興味がない。
この極端さが、次の展開でどう転ぶのか――
期待と不安が同時に膨らむ場面だった。
◆【加賀美屋の闇】時江との再会が暴いた“処分の正体”
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加賀美屋のお地蔵様に手を合わせてお参りしている時江(あき竹城)を、伸一(東幹久)が見つける。
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伸一は時江に対し、「加賀美屋に戻ってこい」と声をかける。
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環(宮本信子)も時江との再会を喜び、
「大女将が引退したら、また仲居頭として働いてもらう」
と約束する。 -
その直後、カツノ(草笛光子)が通りかかり、環と伸一は慌てて時江を自分たちの後ろに隠す。
個人的感想
やっぱり加賀美屋という組織は、どうしようもない組織だなと、改めて再認識させられた。
しきたりとして「上の者が責任を取る」という名目で、実質的には 不当解雇と受け取られてもおかしくない解雇 を行った。
それがここにきて、
「あのときは、ああするしかなかった」
とでも言わんばかりに、何事もなかったかのように復帰の約束。
つまり、
時江の解雇は斎藤愛子に対する“ポーズ”だった
という事実が、ここではっきり露呈した。
しかも、
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環はいつの間にか女将に復帰
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時江は仲居頭に戻す前提
-
処分の検証も説明も一切なし
これで、あの解雇処分はいったい何だったのか。
斎藤愛子を納得させるためだけの
形式的・一時的な処分 に、
「誠心誠意」という言葉を使っていたことに、強い違和感を覚える。
さらに現実的な視点で言えば、
もし仮に
-
再雇用することを約束して解雇
-
その間、時江が失業給付(基本手当)を受給
していたとしたら、それは 不正受給の可能性が極めて高い。
もちろんドラマ内でそこまでの描写はないが、現実の経営者が絶対に真似してはいけないケースだ。
……いや、普通にひどい。
このドラマにおける「誠意」って、一体何なんだろうか。
■ 時江の解雇は「処分」ではなく「演出」だった
このシーンで決定的になったのはこれ。
時江の解雇は、制裁でも責任追及でもない。
斎藤愛子という“外部の目”に対して、
「私たちは、ここまでやりました」
と示すための演出としての解雇だったということ。
だから、
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解雇理由の精査は不要
-
期間の妥当性も不要
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本人へのケアも二の次
処分の本質が、内部の是正ではなく、外向けのアピールだから。
■ 「上が責任を取る」という言葉の歪み
加賀美屋が繰り返し使ってきた、
「上の者が責任を取る」
という言葉。
一見すると美しいが、実態はこうなっている。
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トップは地位を失わない
-
期間限定で肩書きを外すだけ
-
末端の人間が職を失う
責任を取っているのは、一番立場の弱い人。
この構造は、責任の所在を曖昧にし、問題を内部で循環させるだけ。
■ 環の女将復帰が示すもの
環がいつの間にか女将に戻っていると見えることも、この組織の本質を端的に表している。
-
降格は一時的
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評価基準は曖昧
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結果が良ければ帳消し
翼のアレルギー問題に対する「処分」は、結果論でなかったことにされた。
つまり、
✔ 問題が起きても
✔ 外部が納得すれば
✔ 内部の責任は消える
これが加賀美屋のルール。
■ なぜ時江を隠したのか
環と伸一が、カツノから時江を隠した行動は象徴的。
これは、
-
まだ正式に話していない
-
反対されるかもしれない
-
勝手に決めている自覚がある
という後ろめたさの表れ。
つまり彼ら自身も、
「これは堂々とやることではない」
と、どこかで分かっている。
それでもやる。
なぜなら、
-
時江は必要な人材
-
感情的には戻ってきてほしい
-
手続きは後でどうにでもなる
という、いつもの加賀美屋的判断だから。
■ このドラマにおける「誠意」の正体
ここまで見てきて分かるのは、このドラマにおける誠意とは、
✔ 制度を守ること
✔ 公平性を担保すること
✔ 説明責任を果たすこと
ではない。
誠意とは、
✔ 気持ちを示すこと
✔ 頭を下げること
✔ 形だけでも動いたように見せること
そして、
その誠意は、後から簡単に上書きできる。
だから、
-
解雇しても
-
復職させても
-
矛盾していても
「気持ちはあった」
で、すべてが流される。
■ 結論
このシーンは、時江が戻るかどうかではなく、
加賀美屋という組織が、何も学んでいない
ことを示した場面だった。
誠心誠意という言葉を盾に、
-
不合理を正当化し
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人を切り捨て
-
何事もなかったように戻す
それを美談として描こうとする。
視聴者が抱く違和感は、極めて健全だと思う。
このドラマは、人の心を描いているようで、同時に「組織の危うさ」も無意識に露呈させている。
そして残念ながら、加賀美屋は今日も平常運転だった。
◆【座り込み】正座と雨の夜――覚悟と執念の境界線
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夏美は平治の工房の前で、正座のまま長時間待ち続け、足の痛みとしびれに耐えている。
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平治は弟子の聡に対し、
「夏美のことを気に入っていた気持ち」と「仕事」は別だと説教する。 -
平治は、
「自分が作りたくないものは、誰に頼まれても作らない」
と職人としての姿勢をはっきり示す。 -
足も痺れ、空腹にもなっている夏美を心配した聡は、一度イーハトーブに戻って、みんなで考えようと提案する。
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しかし夏美は、
「ここで諦めるわけにはいかない」
「心配しないで」
とその提案を拒む。 -
平治の挑発的な態度によって、夏美はますます引き下がれなくなる。
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イーハトーブでは、聡たちが夏美の身を案じている中、雨が降り始める。
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それでも夏美は、平治から「うん」と言ってもらえるまでは、何があっても待ち続ける覚悟を固めていた。
個人的感想
正座で、同じ姿勢のまま、何も食べず、おそらくトイレにも行かず、ただひたすら待ち続ける。
これはもう、修業とか根性論というより、相手の生活と仕事を物理的に圧迫する行為 だと思ってしまった。
もちろん、夏美が自分の意思でやっていることだから、体調を崩したとしても平治の責任が問われるかどうかは微妙なところだ。
ただ、工房の敷地内、しかも“見える場所”で待ち続けられたら、自分だったら正直かなりきつい。
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見えないところで待っているなら、まだ気にしない
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見えるところで待たれ続けると、仕事に集中できない
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業務を妨害されていると感じてもおかしくない
これはもう、お願い というより 圧力 に近い。
わざわざ見える場所で待ち続けるのは、どう考えてもアピールだ。
一方で、聡に説得されても
「仕事と感情は別だ」
とはっきり線を引いた平治には、職人としての矜持を感じた。
伸一が気に入って持ち帰った茶釜で、契約は履行された扱いになるのか。
それとも、「平治本人が作った茶釜」という条件付きだったのか。
このあたりも、おそらく正式な契約書などはなく、カツノと平治の信頼関係だけでなあなあにやってきたのだろう。
それにしても、このドラマは外で待ち続けると、本当に高確率で雨が降る。
深刻な雨不足の地域だったら、恵みの人扱いされそうだな、と思ってしまった。
……もちろん皮肉です。
■ 夏美の行動は「覚悟」か「押しつけ」か
この場面で描かれている夏美の姿は、
✔ 諦めない覚悟
✔ 逃げない姿勢
✔ 自分の言葉に責任を取ろうとする態度
として、物語的には肯定的に映る。
しかし、現実の感覚で見ると、
✔ 相手の都合を無視
✔ 業務への支障
✔ 心理的圧迫
という側面もはっきり存在する。
つまりこれは、
覚悟の表現
と
自己中心的な粘着
その境界線ギリギリを、
いや、正直かなり踏み越えている。
■ 平治が一線を引き続ける理由
平治が一貫しているのはここ。
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作りたくないものは作らない
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感情で仕事はしない
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同情や好意では動かない
夏美の姿に心が揺れないわけではない。むしろ、気に入っているからこそ、安易に「うん」と言えない。
ここで折れたら、
「粘れば何とかなる」
という前例を、自分自身が作ってしまう。
それは職人としての死を意味する。
だから平治は、
✔ 冷たく見えても
✔ 非情に見えても
線を引き続ける。
■ 聡の提案が示す“常識的な感覚”
聡の
「一度帰って、みんなで考えよう」
という提案は、極めて常識的で、人間的。
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体調の心配
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状況の整理
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相手の立場への配慮
全部、正しい。
それを拒否する夏美は、
「正しい方法」より
「今ここで結果を出すこと」
を優先している。
つまり夏美は、
プロセスより執念
対話より持久戦
を選んだ。
■ このドラマが描く「頑張り」の形
『どんど晴れ』が繰り返し描くのは、
✔ 限界までやる
✔ 身体を張る
✔ 折れない
という昭和的努力論。
外で待つ
→ 雨に打たれる
→ それでも耐える
という構図は、このドラマの“様式美”ですらある。
だが同時に、
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相手の業務妨害
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安全配慮の欠如
-
合理性の不在
といった問題点も、無意識に露呈させている。
■まとめ
第57回は、
夏美の覚悟を描く回であると同時に、
「気持ちがあれば何をしても許されるのか?」
という問いを、視聴者に突きつける回だった。
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折れない姿は立派
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でも方法は正しいのか
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相手の自由は尊重されているか
夏美は本気だ。それは疑いようがない。
ただ、その本気が他人の時間や仕事を侵食していく瞬間、応援する側の心も試される。
そして案の定、
雨が降る。
このドラマは今日も、
「耐えれば報われる」
という物語の文法を、これでもかと押し出してきた。
さて、
平治は「うん」と言うのか。それとも、最後まで折れないのか。
どちらに転んでも、また一つ、この作品の価値観がはっきりする回だったと思う。
『どんど晴れ』感想まとめはこちら
広告
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