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2025年11月8日(土)放送の『どんど晴れ』第24回。
前回、行方不明だった健太(鈴木宗太郎)と勇太(小室優太)が見つかり、安堵したのも束の間。
今度は“母としての想い”と“女将としての責任”が、真っ向からぶつかる一日となった。
家族会議の嵐 ― 恵美子、初めて環に逆らう
健太と勇太は、母屋で家族に囲まれながら叱責を受ける。「どうして帰ってこなかったの」と問われた二人は、「お母さんがいなくて寂しかった。迎えに来てくれるかなって…」と素直に答える。
環(宮本信子)は「旅館を支える母親としての責任」を説き、恵美子(雛形あきこ)に仕事へ戻るよう促すが、恵美子は「今夜だけは子どもたちのそばにいたい」と初めて反論する。伸一(東幹久)はモラハラ発言を連発し、恵美子を追い詰める。
見かねた夏美(比嘉愛未)は、「健太くんと勇太くんは、ちゃんと我慢してました」と擁護。しかし、伸一は「あんたには関係ない!」と激怒する。それでも夏美は、「関係あります。私もこの家の一員のつもりです」と静かに言い返した。
この一言で、場の空気が一変。伸一の弟・浩司(蟹江一平)が口を開き、「兄貴だって昔、お母さんが忙しくて寂しがってオネショしてた」と暴露。その後、伸一と恵美子が口論し、環は恵美子に自分に逆らうのかと問う。
そのとき、静かに現れたのは大女将・カツノ(草笛光子)。恵美子が健太と勇太のそばにいられるように環を説き伏せ、翌日から自らが大女将として現場復帰することを宣言。恵美子には家事を、夏美には仲居修業の継続を命じた。その裁定に誰も逆らうことはできなかった。
(個人的感想)
伸一と環の“モラルハラスメント的気質”は、もはや我慢の限界を超えているように見える。彼らは「旅館を守る」という大義のもとに、子どもや母親の感情を切り捨ててしまっている。“女将になるなら、子どもより旅館とお客様を優先しろ”という論理は、もはや愛情ではなく支配の言葉だ。そんな職場環境で「女将をやりたい」と思える人間がいるだろうか。
さらに問題なのは、子どもたちにまで我慢を強要し、最終的には「甘やかした恵美子の教育が悪い」とすべての責任を一人に押しつける構図だ。これは典型的な“罪の転嫁”であり、家族というよりも支配関係に近い。恵美子は、こんな夫と義母のもとで心をすり減らすよりも、母子三人で穏やかに暮らしたほうが幸せになれるのではないか――そう感じてしまう。
とはいえ、この救いようのない家族会議にも一筋の光があった。それは、伸一の弟・浩司の存在だ。彼は中立を装いながらも、理不尽を理不尽と指摘できる稀有な存在。浩司と夏美という“良心”のサポートがあったからこそ、恵美子は初めて環に真正面から反論する勇気を持てた。
そして大女将・カツノの登場によって、ようやく空気が変わった。カツノの“人としての裁き”が下されたことで、恵美子は家事に、夏美は仲居修業に戻り、加賀美家の歪んだバランスがようやく少し整ったように思う。
ただ、一つどうしても引っかかる点がある。それは、伸一と環があれほど“旅館の伝統”を大切にする一方で、その旅館を高級リゾートホテルに建て替えようとしていることだ。「伝統を守る」と口にしながら、実際には“利益と体裁”を優先しているのではないか。旅館や女将という存在を本当に尊重しているなら、壊して新しくするという発想自体が矛盾している。その歪みこそが、加賀美家の根本的な問題を象徴しているように感じる。
恵美子と環、女将としての本音
夜。子どもたちを寝かしつけた恵美子を、環が呼び止める。恵美子は「勝手をしてすみません」と頭を下げるが、環は「母親の気持ちは分かる」と静かに答える。ただし、自分は母より女将を選んだ。でも後悔はしていないと言い切る。恵美子は、自らのミスを認め、恵(藤井麻衣子)を客室係に戻すよう願い出る。環はそれをすでに見抜いており、女将としての度量を見るためだったと告げる。
(個人的感想)
環は「子どもに寂しい思いをさせたけれど後悔はない」と言い切った。しかし、その言葉を聞いて強く感じたのは、“後悔はない”というより“考え直す余地を自ら閉ざしてきた”という印象だ。もし本当に子どもを思う気持ちがあるなら、女将という働き方そのものを見つめ直す機会が、一度くらいあっても良かったのではないだろうか。
女将という仕事は、家業と家庭を一人で背負い込み、精神的にも肉体的にも過重負担を強いられる職務のように感じさせる。その構造自体が、環のように“我慢することが美徳”という価値観を再生産している。
だからこそ、ここで提案したいのは“女将分業制”の導入だ。一度すべての業務を棚卸しし、他の仲居やスタッフに分担できることはないか、業務フローを根本から見直す必要があると思う。複数の女将がいたっていいのではないだろうか。誰か一人に責任と感情労働を集中させる仕組みは、どんな伝統産業であっても持続不可能なように思う。
ラストシーン ― 不穏な風が吹く夜
イーハトーブに帰る夏美。夜風が吹き、背後から気配を感じる。振り返るとそこにはビリー(ダニエル・カール)。「天狗かと思った」と笑う夏美の表情は、どこか張りつめていた。ナレーションが不穏な空気を伝え、今週は幕を閉じた。
(個人的感想)
終盤の“天狗”のシーンは象徴的だった。誰もが気づかないうちに、この家には“何か”が潜んでいる。それは、家族の歪み、あるいは伝統に宿る怨念。夏美がそれを感じ取ったということは、
彼女が“変化を起こす存在”である証なのかもしれない。
まとめ
第24回は、「母が母であることを許さない社会」への挑戦であり、同時に、“伝統の改革”が始まる回でもあった。恵美子の「はい」は、環の支配に対する“逆らい”でありながら、自分の人生を取り戻すための最初の“肯定”だった。加賀美屋という“家族と仕事の境界が曖昧な共同体”に、初めて人間らしい感情が差し込んだ回だった。
『どんど晴れ』感想まとめはこちら
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