朝ドラ再放送「チョッちゃん」第146回感想 “飯炊きから食堂へ、商売拡大の兆し”

朝ドラ

2025年9月30日放送 第146回


ざっくりあらすじ

  • 飯炊き業の継続。 チョッちゃん(古村比呂)たちは行商のよね(根岸明美)をはじめとする人々のために毎日ご飯を炊き続けていた。泰輔(前田吟)も張り切って手伝うようになり、家族総出の仕事となる。

  • 洋裁と飯炊きの両立。 チョッちゃんは洋裁の依頼もこなしつつ、家の中は「何屋なのかわからない」状態に。俊継(服部賢悟)は「本当は洋服屋さん?ごはん屋さん?」と首をかしげる。

  • 煮物の一皿。 よねに煮物を出すと、「いくら?」と尋ねられる。お金を取らないチョッちゃんに、よねが「小皿で値を決めなきゃだめだ」とアドバイス。相場は70銭と提案され、賑やかな売れ行きとなる。

  • 食堂構想の芽生え。 食堂と勘違いした復員兵や親子連れが訪れ、残り物を分ける場面も。泰輔は「いっそ食堂に」と提案し、よねも賛同。ついに「食堂」としての看板を掲げる決意に至った。


今日のグッと来たセリフ&場面

# セリフ/場面 ワンポイント
1 俊継「本当は何屋さん?」 洋裁と飯炊きが入り混じる状況を子供らしい視点で言い当てた。
2 よね「小皿に分けて、一皿いくらって決めるのえ」 商売の基本を的確に教えるよねは、まるで経営コンサルタントのよう。
3 富子「相場は、一皿いくらくらい?」 現実的な感覚で価格を確認する富子のしたたかさが垣間見える。
4 復員兵「ここ、食堂じゃないんですか?」 戦後の混乱の中、人々が食を求めさまよう様子を象徴する場面。
5 親子に残りご飯を差し出すチョッちゃん 商売ではなく人情で動く姿に、彼女の根っからの優しさを感じた。
6 泰輔「今やってる飯炊きを発展させて、食堂ってのはどうだ?」 商売の二文字に血が騒ぐ泰輔。弱さと強さを併せ持つ人物像が際立った。

私が感じたポイント

  • 家の正体が揺らぐ日常。 子供から「何屋さん?」と問われるほど、洋裁と飯炊きが入り混じる家庭。戦後の混乱が生み出した、境界の曖昧な「生きるための仕事」が生々しく描かれていた。

  • よねの存在感。 商売のノウハウを惜しみなく伝授し、価格設定まで導くよねの頼もしさ。単なるお客でなく、事実上の「指南役」として物語を動かしているのが面白い。

  • 商売に燃える泰輔。 東京帰還を願い泣いていた男が、商売の話となると生き生きし始める。根っからの商売人気質が、戦後のサバイバルで活かされる様子が描かれた。

  • 富子との絶妙な掛け合い。 「また悪い癖が!」と釘を刺す富子と、「話の途中で文句言うな!」と反発する泰輔。緊張と笑いが同居するやりとりは、この作品ならではの夫婦劇を感じさせた。

  • 親子との出会い。 東京から来た親子に残りご飯を分け与える場面は胸を打った。商売と人情の狭間で揺れるチョッちゃんの姿が、戦後を生き抜く人間味を際立たせていた。

  • 東京への執着。 食堂構想に心が弾む一方で、チョッちゃんと富子が親子から東京の様子を必死に聞き出そうとする姿が印象的だった。家も失われ、帰る場所があるのか不安を抱きつつ、それでも東京を忘れられない複雑な心境が滲んでいた。

  • 食堂構想の現実味。 駅前という立地を最大限に活かそうとする発想は、まさに適材適所。よねの賛成で一気に現実味を帯び、「チョッちゃん食堂(仮)」が誕生する兆しが胸を躍らせた。


まとめ

第146回は「飯炊き業」から「食堂」への進化が描かれた回だった。戦後の混乱期に、商売の芽をつかむ柔軟さと、困っている人に手を差し伸べる人情の両立が光る。泰輔の奮起、富子の現実感覚、よねの知恵、そしてチョッちゃんとみさの優しさ。全員が役割を持ちながら一歩ずつ進んでいく姿は、混乱の時代を生き抜く力そのものだった。これから「チョッちゃん食堂(仮)」がどう育っていくのか、ますます目が離せない展開となった。

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