2025年9月27日放送 第144回
ざっくりあらすじ
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台風襲来。 喜作(伊奈かっぺい)の警告で避難したチョッちゃん一家。翌朝、小屋は無惨に倒壊していた。泰輔(前田吟)たちの小屋も同じく倒壊。
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新しい住まい。 喜作の紹介で駅近の作業小屋を借りることが決定。電気や水道も使える環境に前向きになる蝶子(古村比呂)。
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生活への不安。 富子(佐藤オリエ)も泰輔も職探しは難航。頼みは蝶子の「洋裁」の腕のみ。
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復員兵の姿。 東京は焼け野原との情報に衝撃を受ける蝶子。要の消息を探るが分からず、不安を募らせる。
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常子の訪問。 常子(栗田ひとみ)が米や野菜を差し入れ。「洋裁を頼みたい」と言い、蝶子は初めての顧客を得る。
今日のグッと来たセリフ&場面
# | セリフ/場面 | ワンポイント |
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1 | 喜作「早く、ここ出て、うちさ来なせえ!」 | 危険をいち早く察知し、全員を守る喜作の行動力に感服。 |
2 | 泰輔「俺は本当、よくよく運に見放された人間だよなあ」 | 三度住まいを失った男の絶望と諦念。 |
3 | 富子「見つけるんだよ!」 | 自分も働く決意を示しつつ、泰輔を奮い立たせる一言。 |
4 | 蝶子「洋裁かな?洋裁よ!」 | 窮地でも希望を見出すチョッちゃんの強さ。 |
5 | 常子「おらがあっちゃこちゃ、宣伝してやるすけ!」 | 頼もしい宣言に、友情と連帯の温かさを感じる。 |
私が感じたポイント
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喜作の頼もしさ。 台風の夜に「早く避難しろ!」と全力で呼びかけ、翌日には新しい住まい探しまで率先して動いてくれる。どこまで人が良いのかと感嘆せざるを得ない。彼の存在がなければ、チョッちゃん一家は本当に行き場を失っていた。
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富子の変わらぬ気骨。 泰輔が嘆きに沈む中で「見つけるんだよ!」と喝を入れる姿は圧巻。疎開当初はお荷物に見えることもあった夫婦だが、富子の強さがなければ、泰輔は完全に立ち直れなかっただろう。
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運の対比。 泰輔は「行くとこ、行くとこ、住むうちをなくしちまう」と嘆くほど不運を背負っている。一方で、かつて神谷先生が栄養失調で倒れたとき、場所が病院だったからこそ命拾いできたという“運の強さ”を見せたことがあった。人の運のあり方が鮮やかに対比されていて印象深かった。
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楽観と悲観の落差。 富子が「住むところなんて見つかるのか」と悲観する一方で、チョッちゃんは「雨露さえしのげればどこでもいい」と明るく答える。周囲が暗くなる中で、ただ一人前を向くチョッちゃんの姿が希望の光のようだった。だが、要のことだけは前向きに考えられず、不安に縛られてしまう。その対照がとても考えさせられた。
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チョッちゃんの切り替え。 家を失っても「洋裁かな?」とすぐに前を向く姿に勇気づけられる。戦争も台風も人生を試すが、そのたびに「私が何とかするわ」と笑って立ち上がる姿が眩しい。
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常子の粋な支え方。 食糧を差し入れるだけでなく「洋服を作って」と依頼することで、チョッちゃんが遠慮なく受け取れる形にしているのが優しい。彼女自身が洋服を着こなす美人だからこそ、実は、諏訪ノ平のファッションリーダーで、歩く広告塔になり得るのかもと想像できるのが面白い。常子は戦後間もないのに本当に洋服を必要としているのかな?やっぱり、食料を受け取りやすくするためのウソのような気がしてならない。
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青森の人情。 喜作も常子も、常にチョッちゃんを助けてくれる。戦後の厳しい時代に、ここまで周囲に支えられているチョッちゃんは幸運だと感じる。
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史実との重なり。 ドラマの中で描かれた「台風で小屋が倒壊」という場面。昭和20年に実際に青森を襲った枕崎台風は、リンゴ農園に被害をもたらした記録が残っており、現実的にも強風被害は十分にあり得た。ただし、住居の倒壊レベルの詳細は残されていない。史実と脚色の境目を感じさせるエピソードだった。
まとめ
台風で小屋を失い、再びゼロからの生活に直面するチョッちゃん一家。しかし、喜作の尽力、富子の気骨、そして常子の温かな支援に支えられ、洋裁で未来を切り開こうとする姿が描かれた。泰輔の「運のなさ」と神谷先生の「運の強さ」の対比は、人の運命の皮肉を強く感じさせる。富子が悲観しても「雨露さえしのげればいい」と笑うチョッちゃんの楽観は、戦後の闇に差し込む光のようだった。一方で要のことだけは後ろ向きに考えてしまう弱さもあり、その揺れ動く心が視聴者の胸を打つ。駅近の新居と「洋裁承ります」の看板から、戦後の新しい物語が始まろうとしている。
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