2025年9月9日放送 第128回
ざっくりあらすじ
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泰輔と俊道、胸の内の清算。 「君とは、いろいろあったもねえ」から始まる夜の対話。俊道(佐藤慶)は、四角四面の自分が泰輔(前田吟)を羨んでいたと告白し、「みさ(由紀さおり)のこと、頼む」と託す。泰輔は「もちろん」と応じつつも「もっと先ですよ」と生に執着する返しで、ふたりの祈りが交差。
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朝、父と娘の最終ラリー。 付き添いのまま朝を迎えた蝶子(古村比呂)。俊道は「その辺、ドタンバタン飛び回っていたお前が…母親かい」と笑い、木登り・菓子泥棒までおてんば履歴を愛おしむ。蝶子も「いろいろ心配かけたね」と返し、笑いのうちに一幕。
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みさとの“最後の家話”。 「炊事も裁縫も掃除も、なんもできんべさ」と不器用を指摘する俊道。俊道はそれでも寄り添い続けた35年を滲ませる。みさは「缶詰は開けられるようになった」と胸を張り、ひとりになったら旅に出る計画(東京・仙台・山形)を語る。
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そして、静かな別れ。 旅の話を聞いたすぐ後、俊道の呼吸がすっと途切れる。孫の俊継(服部賢悟)が「おじいちゃん、また寝たの?」と尋ね、みさは涙をこらえ顔をくしゃくしゃにして「眠ってしまったわ」と答える。みさの叫び「蝶ちゃん! 泰ちゃん!」が滝川の家に響き、泰輔がみさを抱きとめる。
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キャラメル二粒。 蝶子は診察室の引き出しからキャラメルの箱を見つける。中には二粒。「父さん、もらうね」と一粒を口へ。“最後のくすね”であり、もう二度と起きない所作だと視聴者も悟るラスト。
今日のグッと来たセリフ&場面
# | セリフ/場面 | ワンポイント |
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1 | 俊道「羨ましかったんだ。四角四面なワシとは違い、どんな形にもなれる君が」 | 医者としての父が、人としての嫉妬を言葉にできた夜。 |
2 | 泰輔「例えば、岩崎要さんとか…一本すーっと筋が通っている」 | 羨望の矢印が要へ伸びる瞬間。連鎖する“うらやましさ”。 |
3 | 俊道「みさのこと、頼む」/泰輔「もっと先ですよ」 | 死の予感と言い返す祈り。二人の“粘り”が切ない。 |
4 | 俊道「その辺、ドタンバタン飛び回っていたお前が母親かい」 | 叱り言葉が、最期は祝福の言い方に反転。 |
5 | みさ「缶詰は、なんとか開けられるようになったんだ」 | 35年の“できない”史に差す、ささやかな誇りの灯り。 |
6 | みさ「眠ってしまったわ」 | 死を直接言わない婉曲の一行が、胸に深く届く。 |
7 | 蝶子、キャラメル二粒のうち一粒を口へ | 最後の“菓子をくすねる娘”。子と父の儀式の終止符。 |
私が感じたポイント
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羨望の連鎖が描く〈人の等身〉。 俊道が泰輔を、泰輔が要を羨むと打ち明け合う往復に唸った。誰もが誰かを羨む——それを最期の夜に口にできる度量こそ、生の成熟だと思う。泰輔に羨まれた要は、では誰を羨むのか。資質の話ではなく、生き方の温度の話として気になって仕方がない。
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「みさのこと、頼む」の重みと、泰輔の返答。 俊道はすでに死の段取りに入っていた。対して泰輔は「もっと先ですよ」と現実を引き戻す。死の覚悟と生への粘りの斜交いが、ふたりの関係史を一気に厚くした。ここで「そんなこと言わないで」で終わらせず、頼みを受けるまで言い切らせた脚本に拍手。
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朝の光で交わす“父娘の総決算”。 「その辺ドタンバタン飛び回って…」の回想は、具体の記憶しか出てこない。木登り、男の子を泣かせる、お菓子をくすねる。“いい子”のまとめ言葉ではなく、体の動きの列挙で娘時代を肯う。ここが、私にはたまらない。
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みさの「缶詰」宣言に泣く。 炊事も裁縫も掃除もできないみさが、缶詰だけは開けられるようになったと胸を張る。35年、何もできないまま隣にいた妻を、俊道は離れず愛し続けたのだと思うと、こみ上げる。要さんの母・まつの影響で覚えた“缶詰開け”という一点突破が、生活の自尊心として最後の会話に刻まれる演出が見事。
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「眠ってしまったわ」のための布陣。 夫婦二人きりにしないで、あえて俊継を部屋に残したことで、この台詞が言えた。比喩の柔らかさが孫に届き、同時に視聴者にも届く。演出の段取り勝ちだと思う。大声で「死んだ」と言わない、この作品の品の良さに頭が下がる。
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キャラメル二粒の“最終くすね”。 チョッちゃんは最後までお父さんのお菓子をくすねた。これが最後だと、彼女も視聴者も分かっている。味が喉に落ちるまでの時間が、弔いの黙祷になっていた。二粒の設計——一粒は蝶子、もう一粒は…誰のために残したのだろう。
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“ナレ死”にしない覚悟。 最近の朝ドラがナレーションで死亡処理しがちな流儀から距離を置き、道郎の死も雅紀の死も俊道の死も、きちんと画面で見届けさせる。視聴者も一緒に別れをする時間を与えられる。これこそ丁寧に作られた物語の証しだと思う。
まとめ——最期の夜も、朝も、生活の温度で
羨望を言い合い、頼みを託し、朝の光で笑い、そして静かに別れる。ドラマは“死”をセンセーショナルにせず、生活の温度のまま描き切った。最後のキャラメル一粒が、父と娘の長い追いかけっこの終点であり、これから先のチョッちゃんの背中を押す小さな糖分になっていく——そう信じられる神回だった。
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