朝ドラ再放送「チョッちゃん」第116回感想 要×音吉、戦時下の“正しさ”衝突――遊ぶ権利と練習の義務のあいだで

朝ドラ

2025年8月26日放送 第116回


ざっくりあらすじ

  • 数少なくなった演奏の仕事に向かう要(世良公則)。「1時に帰ってくる雅紀(相原千興)には練習を」と蝶子(古村比呂)へ厳命。

  • 千駄木では泰輔(前田吟)を気づかう蝶子&邦子(宮崎萬純)。泰明座を畳んだ泰輔は“抜け殻モード”。富子(佐藤オリエ)は「ため息罰金制」で対処中。

  • 午後。洗足の家で安乃(貝ますみ)が裁縫の内職。そこへ要が早めに帰宅。雅紀の姿がなく、向かいの音吉(片岡鶴太郎)宅へ——俊継(服部賢悟)と一緒に、音吉が作った木の戦車で夢中に。

  • 「今は練習だ」と連れ戻そうとする要に、音吉は「子どもはまず外で遊ぶもんだ」と応戦。はる(曽川留三子)と蝶子が板挟みでなだめに回るが、議論は隣組・配給・兵役にまで飛び火。

  • 口論後、要は雅紀の練習を再開させるが、指先から出血。手当てをしながらも、ナレーションは「蝶子には、要の“そこまでの厳しさ”がまだ分からなかった」と結ぶ。


今日のグッと来たセリフ&場面

# セリフ/場面 ワンポイント
1 要「当たり前だ(毎日練習)」 音の人の“日課=生存”という感覚の硬さ。
2 音吉「一日くらい休んじゃえ」→要「それが余計だよ 価値観がまるで噛み合わない入り口。
3 音吉「良い兵隊にならないとね」→要「兵隊なんてやらんでよろしい 戦時の“正論”と、芸の自由の真っ向衝突。
4 音吉「鬼だい!」→要「無理を通す! 愛ゆえの過激さが剥き出しになる瞬間。
5 音吉「敵兵だ、隠れろ」と子どもを隠す茶目っ気 緊張の場面に差し込む、お向かいさんの機転。
6 要「一日休むと戻るまで三日。三日で十日、十日で一か月」 スパルタの“算術”が怖いほどリアル。
7 雅紀の指先から血/蝶子が手当て 蓄積する努力が可視化された一滴。

私が感じたポイント

  • 遊ぶ権利 vs 練習の義務。 音吉の「まず外で遊べ」は、子どもの身体性を守る生活の正しさ。一方、要の“毎日”は、プロが生き延びるための技術の正しさ。どちらも正しいからこそ、戦時下で両立が難しくなる。

  • 戦争が“ご近所の距離”を壊す。 かつては気の置けない間柄だった二人が、隣組の役割や兵隊観を起点に分断されていく。妻同士(蝶子×はる)は友好を保っているだけに、 旦那衆の対立が家の境界線まで硬化させないか心配になる回。

  • 要の厳しさの根。 「休めば戻るまで三倍」のロジックは、音楽家の身体に刻まれた恐怖の記憶。演奏の場を奪われ、曲目も縛られるいま、練習だけは奪われたくない——その切迫感が、息子への投影として表出している。

  • 音吉の茶目っ気×はるの緩衝材力。 音吉の「敵兵だ、隠れろ」で場を和ませつつ、はるは“外の空気”を家の中に入れすぎない遮風壁として立ち回る。近所夫婦の冗談が、家庭の平穏を守る。

  • 泰輔の“抜け殻”描写が刺さる。 〈泉〉→泰明座と続いた場所の喪失が、戦時の文化の空洞化を象徴。富子の“ため息罰金”は笑い話に見えて、生活を支える技だ。

  • 用語メモ(さっとおさらい)

    • 隣組(となりぐみ):1940年ごろ全国に整備された最小単位の住民組織。配給の受け渡し、防空訓練、回覧・監視なども担い、戦時下の相互扶助と統制の基盤に。

    • 女子勤労動員/挺身隊:学校を出た少女・若い女性が軍需工場等に動員された制度。家の事情より“お達し”が優先される現実が、家庭の価値観を揺らした。


まとめ――“正しさ”が二つある時、どうやって一つの家に置く?

要は音楽の生存戦略としての厳しさ、音吉は子どもの生活権としての遊びを主張した。どちらも嘘じゃないからこそ痛い。雅紀の血の一滴は、家族がこの先選ぶバランスの難しさを予告しているようでした。

次回、要の“鬼”はどこまで続くのか。音吉との溝は埋まるのか。そして蝶子はどの温度で二人の間に立つのか。

あなたなら、子どもの“遊び”と“練習”、どんな配分にしますか?

『チョッちゃん』感想まとめはこちら

タイトルとURLをコピーしました