2025年8月1日放送 第95回
ざっくりあらすじ
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担任・山口信江〈岡本舞〉から呼び出された蝶子〈古村比呂〉は、加津子〈椎野愛〉が大工道具で校内に線を引き釘を打つ“建具屋活動”を告げられる。
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担任は「厳しくしつけを」と要求するが、蝶子は恩師・神谷容〈役所広司〉に相談。神谷は「子どもの目線で寄り添え」と助言。
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最近の加津子は「先生に質問すると嫌な顔をされる」と落ち込み、「悪い子」と糾弾されたとしょんぼり。神谷は即座に否定し、長所を列挙して励ます。
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喫茶店〈泉〉では邦子〈宮崎萬純〉が道郎の先輩、大川信吾〈丹波義隆〉に「戦争映画に出てほしくない」と諭され暗雲。
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再度学校に呼び出された蝶子。加津子は授業中に机のフタを開閉し“アイウエオ”を完成、窓の外の小鳥に大声で話しかけ、机を削る暴挙。担任は「転校を」と言い渡す。
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要〈世良公則〉は激昂し担任に直談判を宣言。波乱を孕んだまま幕が下りる。
今日のグッと来たセリフ&場面
# | セリフ/場面 | ワンポイント |
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1 | 加津子「先生にわからないこと、どうして聞いちゃいけないの?」 | 子どもの純粋な疑問が胸に刺さる |
2 | 神谷「教育してやろうなんてつもりしてたらうまくないんだわ」 | “目線を下げる”教育観の金言 |
3 | 担任「悪い子です」→神谷「そんなことはない!」 | 即座の全否定に涙腺決壊 |
4 | 加津子、机フタで“アイウエオ”完成 | 発想の柔軟さが爆発した問題行動 |
5 | 邦子、戦争映画オファーに曇る表情 | 女優の岐路と時代の影が交錯 |
私が感じたポイント
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神谷先生の“子どもの高さ”理論は令和の今でも通用する名言。教育現場の普遍的課題を突いていました。
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みさ母さんの寄り添い力――蝶子が何度呼び出されても叱責より共感で支えた姿勢が、そのまま蝶子→加津子ラインに受け継がれています。親子三代で“怒るより抱きとめる”流儀が連鎖していると感じました。
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加津子の問題行動は破天荒ですが、創造性と好奇心の塊。規範と自由の折り合いをどう付けるかが親の試練であり、学校の器量が試される場面でもあります。
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担任の「転校してほしい」は衝撃。戦時下の教師像としても極端さが漂い、学校側の余裕のなさが際立ちました。
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邦子の戦争映画問題が、娯楽とプロパガンダの狭間で揺れる芸能界を象徴。彼女の選択が物語全体に波及しそうです。
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要さんが“瞬間湯沸かし器”モードへ逆戻り。直談判が吉と出るか凶と出るか、ハラハラします。
昭和の教育から現代を照らす――二つの“寄り添い”
立場 | キーワード | エッセンス |
神谷先生 | 子どもの高さで見る | 「教育してやろう」ではなく「一緒に面白がる」姿勢。質問攻めも歓迎し、クラス全体の興味に昇華させる柔軟さ。 |
みさ母さん | 共感で支える | 呼び出し状を手にしても娘を叱るより受け止めた。結果、蝶子は“自分は肯定されている”感覚を獲得し、次世代へ継承。 |
二人に共通するのは“失敗より好奇心を優先”させる土壌づくり。昭和15年の統制下という逆風の中でも、子どもの心を伸ばす余白を守り抜いたことが、今の蝶子・加津子の親子像を生んでいます。
現代にも通じるヒント:ルールを守らせる前に“なぜそうしたの?”と耳を傾ける。それだけで子どもは次の問いへ向かえる。
まとめ――叱る? 見守る? 親と教師の分かれ道
第95回は「好奇心は罪か」を問う一編。厳格な統制社会の教室で、加津子の自由な魂がぶつかり火花を散らしました。親として、教師として、どこまで許容し伸ばすか――その答えは簡単ではありません。次回、要の直談判と邦子の決断が、岩崎家と周囲をどう揺さぶるのか注目です。
あなたは子どもの“なぜ?”を、どこまで受け止められますか?