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2026年2月20日放送『どんど晴れ』第107回。
強い風の夜に語り合った少年・三郎。
「父に捨てられた」と呟いたその姿は、翌朝、跡形もなく消えていた。
写真にも写っていない。
誰の記憶にも存在しない。
しかしその直後、
22年間会っていなかった父と息子が、ついに向き合うことになる。
幻想は消え、現実が動き出す。
第107回は、遠野編最大の転換点だった。
※この回は、前日の展開を踏まえて見ると、より重みが増します。
👇 前回(第106回)の感想はこちら

風の夜と「独り」の告白
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強い風の夜、汽車の汽笛で目を覚ました夏美(比嘉愛未)は、庭に立つ三郎(深澤嵐)の姿を見つける。
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夏美は外へ出て三郎と向き合い、言葉を交わす。
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三郎は父親について語り、「父さんは僕を捨てた」と寂しげに言う。
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夏美は励まし続けるが、「いつ迎えに来るの?」という問いには答えられない。
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三郎は「じゃあ、やっぱり僕は独りなんだ」と落ち込む。
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その瞬間、強風が吹き、クルミが飛ばされてくる。
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三郎はそのクルミを夏美に手渡す。
個人的感想
まず最初に思ったのは、
夏美、また軽々しく言ってないか?という不安。
「きっと迎えに来てくれるよ」
三郎は「父に捨てられた」と感じている子供だ。
そこに“きっと迎えに来る”と断言に近い言葉を投げるのは危険だ。
政良が一時預かりの里親であるなら、
制度上は「迎えに来る可能性」はある。
でも、それがいつかは分からない。
本当に来るのかも分からない。
その不確定な未来を、
確定のように言ってしまうのはリスクが高い。
案の定、「いつ?」と聞かれ、
「それは分からない」と答えざるを得なくなる。
持ち上げて、落とす。
三郎が「じゃあやっぱり僕は独りなんだ」と言うのは当然だ。
夏美は優しい。
それは間違いない。
でも、優しさと慎重さは別だ。
もう少し言葉を選んであげればいいのに、とどうしても思ってしまう。
そして薄着で外で語り合う二人。
三郎は北海道から来たから寒くないという。
カレンダーは5月。
遠野の5月は確かにまだ冷えるだろうが、
道産子なら平気なタイプもいる。
自分も寒さに強いタイプの道産子だから分かる。
そこはまあいい。
本題は「銀河鉄道の夜」。
ジョバンニとカムパネルラは最後に別れる。
これは明らかに暗喩だ。
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柾樹と父
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三郎と夏美
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あるいは夏美と柾樹
一番自然なのは、柾樹と父の別れ。
そして三郎は言う。
父が話してくれたから覚えた、と。
もし政良=柾樹の父なら、
柾樹も同じ本を読み聞かせられていたのか?
劇中で繰り返される“読み聞かせ”の描写。
これは「親は子に物語を渡す存在だ」というメッセージなのかもしれない。
そして最後。
強風で飛んできたクルミ。
三郎はそれを夏美に渡す。
これは偶然の小道具ではない。
クルミは“種”だ。
固い殻の中に中身がある。
孤独という殻の中に、本当の気持ちがある。
このクルミは、後の展開に必ず絡む気がする。
◆ 夏美の言葉の危うさ
夏美の強みは「信じる力」。
だが、今回それは“期待を作る力”にもなった。
子供に対して、
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きっと迎えに来る
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理由があっただけ
と言うことは、希望を与える一方で
裏切られた時のダメージも大きい。
夏美は善意で動いている。
だが善意は時に残酷になる。
遠野編は、その危うさをあえて描いているのかもしれない。
◆ 三郎=“待ち続ける子供”の象徴
三郎の問いはシンプルだ。
「いつ迎えに来るの?」
これは柾樹の心の声でもある。
柾樹もまた、
迎えに来なかった父を待っていた子供だ。
三郎は柾樹の内面の投影かもしれない。
◆ 銀河鉄道の夜の意味
ジョバンニとカムパネルラの別れ。
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一緒に旅をする
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だが最後は離れる
この構図は、
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父と子
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夏美と三郎
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現実と幻想
すべてに重なる。
“別れは避けられない”
その前提がここで提示された。
◆ クルミの象徴性
クルミは、
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殻が固い
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中に実がある
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種でもある
これは“心”の象徴だ。
三郎は、自分の心の欠片を
夏美に渡したのかもしれない。
このクルミが物理的に残るなら、
三郎は幻ではない。
もし消えるなら、
三郎は幻想だ。
この小道具は重要な伏線になるかもしれない。
消えた少年――写真に残らなかった存在
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翌朝、夏美は寝坊して2階から降りてくる。紀美子(あめくみちこ)と美咲(あんな)が朝食を準備している。
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強風の影響で仙台からの電車が止まり、政良(奥田瑛二)は帰宅できなかったと紀美子が説明。
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一方、加賀美屋では環(宮本信子)が柾樹(内田朝陽)の父の居場所を突き止め、電話をかける。
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電話は石川政良の家に繋がるが、紀美子は出られず、アキ(鈴木蘭々)が対応。
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加賀美屋の女将からの電話だと分かり、夏美に代わる。
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夏美が電話に出たことで、環と久則(鈴木正幸)は驚く。
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環はしどろもどろになりながらも、その場所が石川政良の家か確認。
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子供たちが起きてくるが、三郎の姿がない。
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夏美が三郎について尋ねると、子供たちは「そんな子はいない」と答える。
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政良も三郎のことは知らないと言う。
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夏美はアキが撮った写真に三郎が写っているはずだと言い、アキは現像に行くことに。
個人的感想
まず、環が政良の居場所を突き止めた件。
都合が良すぎるという見方もあるだろうが、
遠野にいることは分かっていた。
環の人脈と本気度があれば、
探し出すこと自体は不可能ではなかったのではないか。
今までやる必要がなかっただけ。
つまり、
夏美が遠野に来たことで、事態が本気で動いた。
ここが重要。
電話に出たのが夏美だった展開は面白い。
偶然に見えて必然。
これで、
柾樹の父=石川政良
は事実上確定。
そして本題。
三郎がいない。
子供たちも知らない。
政良も知らない。
アキは「昨晩トランプで遊んだ」と言っている。
つまり、
夜の出来事すべてが夢ではない。
トランプは現実。
三郎だけが消えている。
ここで整理が必要になる。
可能性は三つ。
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三郎は最初から存在しなかった(夏美の幻)
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三郎は存在したが、他の人には見えていなかった
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夜の一部が夢と現実で混ざっている
もし②なら、
夏美は“見えている人”。
でもそれなら、
見えない人に向かってひとり言をつぶやいているような夏美を見て、アキが異変に気づくはず。
となると①か③。
ナレーションでは
「夢だとは到底思えない体験」と言っていた。
写真に写らなければ、夢扱いで説明はつく。
だが――
もしクルミが残っていたら?
それは夢ではない証拠になる。
この小道具は回収されるはずだ。
今のところ、
幻想か心理投影かは五分五分。
だが演出はかなり“幻想寄り”。
遠野だから許されるのか。
◆ 三郎は何だったのか
三郎は、
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父に捨てられたと語る
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孤独を抱えている
-
銀河鉄道を知っている
-
柾樹の過去と重なる
つまり、
“待っていた子供”の象徴
柾樹の心の奥にいる少年。
夏美はその心に触れた。
そして朝になると消える。
幻想は役目を終えたのかもしれない。
◆ 現実が一気に接続する回
ここで環の電話が入るのは意味がある。
幻想だけで終わらせない。
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三郎(幻想)
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政良=父(現実)
物語は父子再会に向かって収束している。
遠野は和解の装置。
◆ クルミの存在が鍵
クルミが残るかどうかで、
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幻想物語
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心理描写物語
どちらに振るかが決まる。
もしクルミがポケットから出てきたら・・・
◆ 夏美の役割
三郎が消えたことで、
夏美は“媒介者”だった可能性が高い。
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柾樹の心と
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父の現実を
繋ぐ存在。
三郎は消え、
柾樹が迎えに来る。
幻想から現実へ。
物語は大きく動く直前だ。
動き出した現実――環の決断
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環と久則がカツノ(草笛光子)に、柾樹が遠野まで夏美を迎えに行ったことを報告する。
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カツノは特に反対せず、「遠野の空気でも吸えば、物事を別の角度から見られるかもしれない」と受け止める。
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カツノは身内での揉め事だけは避けたいという姿勢を見せる。
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環と久則は、加賀美屋は家族の輪を大切にしてきたと語り、だからこそ柾樹と父を会わせたいと考えていたと明かす。
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そして、夏美が政良の家に泊まっていることに不思議な縁を感じ、やはり座敷童かもしれないと思い始める。
個人的感想
まず思ったのは、
なぜ「取材中の夏美を迎えに行く必要があるのか?」ということ。
でも環が「柾樹はずっと働きづめだったし、息抜きも必要」と言っていた。
つまりこれは偶然ではなく、
環が背中を押した可能性が高い。
柾樹を“遠野に行かせた”。
ここに意図がある。
そして最大のポイント。
カツノはどこまで知っているのか?
柾樹の父が遠野にいることを――
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知っていたのか
-
知らなかったのか
これで見え方が全く変わる。
もし知っていて容認したなら、
→ 父と会うことも黙認している可能性がある。
もし知らなかったなら、
→ 本当に単なる気分転換として送り出している。
カツノの表情は読ませる。
環も久則もカツノも、
柾樹の改革手法が“最適”だとは思っていないはずだ。
でも止められない。
だから、
遠野という土地に託した。
父という存在に託した。
加賀美屋内部では解けない結び目を、
外部に委ねた。
これは経営論としても興味深い。
内部対立が激化したとき、
第三の空間に移すことで解決を図る。
まさにそれをやっている。
そしてついに、
久則まで座敷童説に傾き始めた。
夏美は、
-
事態を動かす
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偶然を必然に変える
-
停滞を崩す
装置になっている。
次に夏美を座敷童と見間違えるのは――
環か、久則か。
それとも柾樹か。
◆ 遠野行きは“逃避”ではなく“調整”
柾樹の遠野行きは、
-
息抜き
-
夏美の迎え
-
父との接触
複数の意味を持つ。
だが本質は、
加賀美屋という閉鎖空間から一度外に出すこと。
これは心理的リセット。
家族の輪を守るための一時離脱。
◆ カツノの沈黙の意味
カツノは動かない。
だが反対もしない。
これは“信頼”か、“観察”か。
「まだその時ではない」と以前言っていた。
今回も動かない。
つまり、
まだカードを切る段階ではない。
カツノは最終局面まで待つタイプ。
◆ 座敷童=運命の媒介者
夏美が政良の家に泊まる。
偶然のようで、必然。
-
父がいる場所
-
子供の象徴(三郎)
-
柾樹が迎えに来る
点が線になっている。
座敷童とは、
“家に福を呼ぶ存在”だが、
実は“停滞を壊す存在”でもあるのかもしれない。
夏美は加賀美屋の構造を壊し、
再編させる触媒。
◆ 経営と家族の交差点
今回の回は、
幻想パートとは別に、
家族経営の再調整回。
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止められない改革者
-
介入できない上世代
-
外部に託す選択
加賀美屋は今、
内部解決不能フェーズに入っている。
だから遠野。
だから父。
22年ぶりの名乗り
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現像された写真には三郎は写っていなかった。
-
政良は夏美の話を否定せず、「風の又三郎かもしれないな」と静かに受け止める。
-
その時、「ごめんください!」という声が響く。
-
夏美が出迎えると、そこには柾樹が立っていた。
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柾樹は環たちに迎えに行けと言われたと話す。
-
外に出てきた政良に挨拶をする。
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「加賀美柾樹です」と名乗った瞬間、政良の表情が固まる。
-
沈黙の後、政良が「柾樹…。」と呟く。
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柾樹も何かを悟ったような表情を見せる。
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二人の様子から夏美が「もしかして、柾樹さんのお父さん?」と察する。
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ナレーションで、22年前に家族を捨てて出て行った柾樹の父であると明かされ、放送終了。
個人的感想
やっぱり写真には写っていなかった。
ここで三郎の存在は“物理的証拠なし”になった。
なのに政良は否定しない。
「風の又三郎かもしれないな」
普通なら、
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勘違い
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夢
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見間違い
と片付ける。
でも政良は信じる側に立つ。
ここで分かった。
政良もまた、“信じる人間”だ。
自分だったらどうだろう。
出会って数日の人が「少年が現れた」と言えば、
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疲労
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ストレス
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健康状態(薬物)
を疑う。
クルミですら、合成された「何か」なんじゃないかと疑ってしまった自分は心が汚れているのだろう。
そしてついに対面。
22年。
5歳から会っていない。
名乗るまで気づかなくても不自然ではないと個人的には思う。
「加賀美柾樹です」
この名乗りは強烈だ。
政良の表情が固まるのも当然。
そして夏美。
ここが一番驚いた。
いつも鈍感で空気を読まないのに、
この瞬間だけ最速で察する。
速すぎる。
これは偶然じゃない。
絶対に座敷童の力だ。
普段は鈍いのに、
“運命の瞬間”だけは誰よりも敏感。
あれは演出以上の何かだ。
◆ 三郎の役割は完了した
三郎は写真に写らなかった。
これはほぼ確定か。
三郎は、
-
父に捨てられたと感じる少年
-
銀河鉄道を知る子供
-
待ち続ける存在
柾樹の“内なる5歳”の象徴。
役割を終えたから消えた。
そして現実の父が現れた。
幻想は、現実を動かすために出てきた。
◆ 政良はなぜ否定しなかったのか
ここが重要。
政良は、
-
里子を預かる
-
子供の孤独を知っている
-
自分も息子を手放している
だからこそ、
“見えない子供”の存在を否定しなかった。
政良自身の心の中にも、
待たせてしまった少年がいる。
だから三郎を否定できない。
◆ 対面の演出の意味
名乗り → 沈黙 → 呼びかけ。
言葉より沈黙が重い。
22年分の空白が詰まっている。
ここで殴り合いにも怒号にもならない。
ただ、固まる。
これは、
まだ感情が整理されていない証拠。
次回は衝突か、静かな対話か。
まとめ
第107回は、遠野編の“種明かし”と“本番の始まり”が同時に描かれた回だった。
三郎は消えた。
だが彼の言葉は残った。
「僕は独りなんだ」
それは柾樹の心の奥にいた少年の声でもあるのかもしれない。
幻想が消えた瞬間、
現実の父が現れる。
遠野は不思議な土地だ。
だが今回示されたのは、単なるファンタジーではない。
向き合うべき人と向き合うために、
物語は一度、幻想を通過したのだ。
次回、22年分の沈黙がどう破られるのか。
ここからが本当の核心だ。
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